遥か40年間を俯瞰するための時間
2022-08-17
宮崎一高いレストランからの眺め海岸線は青島方面へと連なりさらに南へ伸びる
この街で生きて10年目の夏に
人生には、「正解」などない。大学入試を通過したがために「正解主義」が身につき、講義する側の僕の「答え」を待っている姿勢の学生によく投げかける言葉である。どんな学校に行き、どんなことを身につけ、どんな恋愛をして、どんな仕事を持ち、どんな結婚をするか?仕事がどんな展開をして、仕事のあり様に変化が生じるか?この様な人生の流れは根本的に自らの「意志」に左右されるが、個別の分水嶺において「運命」に依存していることも少なくない。学生らはよく「最適解」などという語も「論理的」だとして利用するが、歩む先の人生はそれを判って進めるものでもない。むしろ「わからない」からこそ進むことができ、その場所で踠き苦闘してこそ「適している」状況に擦り合わせることができると言った方がよいのだろう。肝心なのは「苦しむ負荷」に、物怖じしないことである。「傷つくから恋愛に踏み込めない」という若者が多い様だが、人間は「傷ついて」こそ新たな地平が見えてくるものだ。ちょうど筋力をつけるには筋肉に負荷を掛けて筋断裂を起こすと、筋肉が修復を目指してより強くなるように脳も心も傷つく負荷が必要になる。よって何歳になっても「歩く」こと、「話す 聞く」こと、要は「人と交わる」ことこそが人間を人間として生きさせる、といってもよいだろう。
親友と過ごした日々も最終日、宮崎で一番高い建物の最上階に近いレストランでランチをして、しばしの惜別に導くことにした。遠く初日の暑い中で満喫した青島が見え、僕の住む地域や宮崎市内が一望できる。この宮崎に移住して10年目、あらためて親友婦人に「なぜ宮崎に来たのか?」とも問われたが、「公募採用」という偶然に依るものだと自らの答えを再確認する。この街がこれほど「好き」になるなんて、移住して生活するまではまったく判らなかった。「狙って」とか「どうしても」ではない自然な流れの中で、いつしか宮崎に赴任が決まっていたというのが正直なところである。この3日間、20歳頃に親友と出逢った頃の話題も絶えなかった。あの頃からお互いが歩んだ日々は、決して高層の建物から景色を見るようにはいかない。お互いに様々な紆余曲折があり、今もそれが進行中であることがわかる。肝心なのはどんなことがあっても、自分を信じて前を向いて生きることだ。そんな意味では、「どんなことがあっても前向きに親友でいてくれる」友が誠にありがたい。お互いに生きる世界は違う、ゆえに世間をも俯瞰できる。少なくとも心を寄せて僕の大好きな宮崎に来てくれる、という友情と呼んでも足りないぐらいのありがたき友の心を受け止めた。
新しい朝がやってくる
東の海上の日の出に感激したと云う
素晴らしい時間を胸にさらに前向きに歩み出そう!
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