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どんな試験をやるべきなのだろう?

2022-08-06
約2年半の感染拡大で「レポート」ばかり
中高教員だった頃に課した試験も思い出しつつ
なぜ試験をやるのか?どんな試験をやるべきなのだろう?

僕が大学学部3年生の後期のこと、大学の授業料値上げに反対する学生自治会らしき組織が反対運動を起こし「試験」が実施できない事態となった。その際には全ての受講科目が「レポート」となり、大学から自宅にレポートと担当大学教員の自宅送り先一覧が送付された。大学という場を介せずとも担当教員へ単位取得の学力を証明するという方法として、大学側も手慣れている印象だった。学部の先輩らと話していると、「『・・・概論』はレポートでよかったね!」と言われたりした。当該科目は「試験」をすると、大量の単位不可が出ると有名であったらしい。確かにかなり頑張って担当教員宅へ郵送したレポートの評価は「良」であった。この経験からやはり「レポート」の方が単位取得という意味を考えると「安定株」ということになるのだろうか。この2年半ほどの感染拡大の状況下で、現在の僕の担当科目はWebシステム上への「レポート提出」にすることがほとんどだった。「手書きレポート→郵送」の時代からすると「個人情報」の問題も含めて隔世の感がある。今年度は「原則対面」が貫かれた前期、「定期試験」もコロナ以前のようにできるような感触があり、迷った挙句に「文学史」の担当科目は試験を実施した。教室で90分間を頑張って答案を書く学生らの姿を見ていて、やはり実施してよかったという感想を持った。

中高教員だった頃、同じ学年で「国語」を担当する教員が複数いた。「試験作成」も自ずと輪番となり「共通問題」を課すという慣習であった。転任したばかりで生徒の状況もわからない中、50分の試験時間を半分ぐらいで十分に書き終えて退屈そうにしている生徒が目立つのを監督をして目の当たりにした。試験問題の多くが単純な知識を問うもので、教科書準拠のワークブックの設問通りの問題も少なからず見られた。生徒らの学習姿勢として、ほとんど「国語は暗記科目」と思い込んでいる。その時、僕の「教師魂」に火がついた!果たして「このような試験でいいのだろうか?生徒は力を伸ばすのだろうか?」という強烈な問題意識に目覚めた。その後、僕と学年を一にする先生方からは、「採点者泣かせ」の問題を出題するようになった。まずはどんなに優秀な生徒でも「100点は取らせない」という戦いのような意識で作問した。自ずと記述設問が多くなり、試験中に問題文を多様に頭を働かせて再読しないと解けない問題である。正直、当初は生徒にも教員にも悪評であったが、次第にその学年の「国語成績」が実力テストなどで伸びてきていることに気づいた。「試験」に「試練」がなくてどうするのだろう?よく優秀なスポーツチームでは、「練習がキツくて試合は楽だ」という選手たちの感想があるものだ。こんなことを思い出しながら、大学の試験時間90分をフルに手書きの腕力を存分に使う学生たちに「実力」をつけるための「試験」を課し、あらためて満足した午後であった。

講義も含めて教員養成の「実力」がつく内容を
「試験を課す課される」という学生の経験としても
安易で採点がしやすい試験ほど学生を軽んじていると思うべきだろう。


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