突然の嵐みたいにー雷鳴と感染拡大と
2022-07-21
朝方の猛烈な稲光と雷鳴そして新型コロナの終わらない感染拡大
適宜対応して自らの身は自らで護る
昨日もそうであったが、小欄を書く時間帯に自宅上空で激しい稲光と雷鳴が轟いた。もちろん激しい雨を伴ってのこと。稲光と雷鳴の間隔があまりにも短く、真上から圧を感じるような感覚だったのでPCを使用する小欄の執筆を一時中断した。臨機応変に先にするべきコアトレ・ストレッチを終わらせて、執筆は雷鳴が去ってからと対応して難を逃れた。スマホの雨雲レーダーで見ると、所謂「線状降水帯」のような真っ赤に表示された厚い雲が上空を通過しているらしい。新聞を取りに玄関ポストまで出た際にもちょうど稲光を受けたが、その嫌な感覚は生命に危機を感じるほどだった。自然の偉大な力で僕ら人間は生かされているのだが、それだけに自然の脅威的な力の前にあまりにも無力である。その自然を支配しようとしてきた「近現代」の傲慢な歴史によって、いま人類は自然の逆襲というか、警告を受けているかのようだ。
新型コロナの感染拡大も見逃せない状況となった。全国各県で例外もなく「過去最多」を更新する日々である。「現状で行動制限をするつもりはない」という政府方針のようだが、「社会を回す」ことを優先する意図はわからないでもないが、果たしてこのまま果てしなく感染が拡がってよいものだろうか?現在流行の変異株「ba5」の感染力は強く、比例して重症化は少ないと云われている。ワクチン接種が進んだことも一要因だろう。だがこの2年間、頑なに我が身を護ってきた意識を現状で手放してよいものかとも思う。統計によれば10歳以下の幼児に感染が多く、保育園や幼稚園、さらには小学校での状況も見過ごせず、東京などは小児科病棟の空きが埋まりつつあると聞く。政府も地方自治体も無策であり続けるならば、やはりこの20年間ほどで築かれた格差経済と同じように「我が身は自分で護る」しかない。引き続き「対面講義」が続く教室で、そして買物も家庭でも、自分なりの対策を講じつつ一人ひとりが意識を持って感染しないことである。無症状や軽症が多いとはいうが、決して「感染してもよい」というわけではあるまい。高齢者を中心に要警戒の必要があろう。
まさに「突然の嵐みたいに」
雷に撃たれる確率と感染してしまう確率などと
一人ひとりが自然へ社会へ意識を高めねばなるまい。
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