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テーマ詠「海」ー宮崎大学短歌会7月例会その2

2022-07-20
海の日明けにテーマ詠「海」
相聞ばかりでなく諸々の要素が
生命の根源、そして手触り感のある宮崎の海

宮崎大学短歌会7月2回目の歌会。出詠10首、参加者10名(出詠なき卒業生と会員各1名)テーマ詠「海」で実施された。前日が「海の日」であったが、会員たちはどんな3連休を過ごしてきたのだろう。あらためて宮崎の地では、「海」は大変に身近であることも再認識した。都市部に居住していると1時間かけてようやく海岸らしき場所に行き着くが、宮崎では市の中心部からでもそれほど海が遠くない。所謂「海鳴り」の項目をある百科事典で検索したことがあるが、市内で聞くことができるのが「宮崎」だと記されていた。通勤時間が全国で最も短い県でもある宮崎では、釣りやサーフィンなどの趣味と仕事の両立も容易だ。さて、学生が抱く「海」というイメージは「恋の舞台」かとばかり思い込んでいたが、意外にも相聞(恋歌)は少なかった。むしろ80・90年代こそが「ビーチラブ」の全盛であったのかもしれない。むしろ僕らの世代こそが、「海」=「相聞」と結びつける固定観念があることも気づかされた。

歌の素材は、「潮風」「生命」「カーナビ」「砂に書く文字」「海月」「港」「満潮」「帆掛船」「プラトニック」「くちづけ」などであった。特にある歌に使用された「揺蕩う」という語が歌会の即興ブームになり、他の歌にも「ゆたゆた」や「ゆらゆら」というオノマトペを使用したものが二首あった。「海」は揺れている、言い換えれば常に「動いて」いる。それこそが我々生き物の生命の根源である証なのであろうか。そこに浮いて潮の流れに身を委ねた「海月」盛り込んだ歌も複数あり、彷徨えることの価値をどう捉えるか?という議論も展開した。世の中や特に「学校」では、「流されまい」ということを教えるものだが、むしろ人は必然的に海の波に身を委ねているような存在なのかもしれない。また「砂に書いた文字」は「海」における「恋」の定番かと思っていたが、社会詠に応用した歌があったのも特筆すべきところだ。今月行われた選挙を前に声高に叫ばれた「民主主義」、当該歌には様々な読みがあったが、やはり僕はそれが意識しないと「波に消されてしまう」脆弱な世界情勢が背景にあるように思えてならない。海洋プラスチック汚染など、探せばまだまだ時事的なネタもあるなどと考えさせられて歌会は閉会となった。

身近に海がある幸福
『老人と海』などの小説作品の話題も
おくぶかいことをおもしろく。


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