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一日一生一日一死・・・今日も起きて寝ること

2022-07-16
あれこれ考えても「いま」しか生きられない
「死」を意識してこそ「生」を大切にできる
けふもまた起きて寝る

人は過去を「物語」のように、ひきずりうぬぼれまなびながら「いま」を生きている。又まだ見ぬ未来にも理想の「物語」を描き、希望し期待し祈りながら生きている。過去の方の「物語」にうなされることもあれば、未来の「物語」にたやすく裏切られることもある。「物語」とい呼んだとき、明らかに「予期せぬ出来事」が起こるものだ。過去の「物語」ではそれを「縁」とか「出逢い」と呼び、未来の「物語」では「波」とか「希望」と呼んでいる。時に予期せぬ「波」が訪れて呑み込まれてしまうこともあれば、上手くその「波」に乗って別次元に引き上げてくれることもある。だが、過去の「物語」を引きずっていたり、未来の「物語」に過剰な期待をしていると、「波」を逃しかねない。「波」の比喩に明らかなように、「待つこと」とともに潔い決断を往還する葛藤の中に人生はあるともいえそうだ。僕らが虚構の「物語」に惹かれるように、人生も存分に楽しみたいものだ。

凄惨な事件から1週間、その速報を知った時間になると胸の奥で虫が蠢き、午後の講義になると社会の殺伐さを説いた1週間前が蘇った。一般的に「その時何をしていたかを多くの人が記憶に留めている」というのが、ここ20年ほどでは「9.11」と「3.11」である。「米国でのテロ」と「東日本大震災」、いずれも「いま」を生きていた多くの人々があまりにも唐突に命を失った出来事だった。自然の脅威を心に刻むとともに、「テロ」行為が社会活動を怯ませると言われる意味がよくわかる。決して刻みたくない記憶を、再び僕らは明らかに刻んでしまった。朝起きて「今日命が尽きる」などとは誰しもが決して思っていないし、思いたくもない。恐ろしくも許され難き「波」が人を襲う恐怖について報道を通して、全国民が心に刻みつけねばならなくなった。それは容疑者への非難や動機探しでは、決して回収されない問題でもある。「容疑者叩き」は同様の凄惨な社会をさらに蔓延らせる。ならば何が必要か?我々個々の命はあまりにも脆弱で無常であること、それゆえに「今日」を大切に慎重に生きること。しかし怯えることなく「死」を意識してこその「勇気」を携えて、潔白で健全に一人ひとりが歩むことである。

予期せぬ良い波も来る
あなたは「今日」を無駄にしていませんか
「生きる」ことに意味を見出すために。



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