わたしはひとりじゃないー孤独を抜け出す朗読
2022-07-15
表現するとはつながること観客と仲間とそして文学と
朗読によって抜け出す孤独
全国で再び感染状況が大幅に増加に転じた。だが今までと違うのは、経済活動を止めないという方針が根底にあるようだ。国や県も緊急な対策を、講じようとはしていない。それだけに個々人がそれぞれに身を護ることが求められるであろう。マスク・換気・距離の対策は、慢性的になり慣れてしまったが、今こそあらためて見直すべきだろう。経済活動が止まらないからといって、決して「感染しても仕方ない」というわけではない。このような状況から、ゼミ活動は久しぶりにオンラインで開催した。多くの者が自宅から他者との接触を避けて参加することができた。この2年間に培った方法は、適宜活用すべきである。この日のテーマ一つ目は、「現況の社会状況について思うこと」とした。この1週間、安倍元総理の銃撃事件、そして参議院議員選挙へと連なった世情を学生たちはどう考えているか。将来、教員として羽ばたく学生たちが忌憚なく意見を言う姿には、逞しさを感じるほどだった。メディアの偏向やネットリテラシーの問題など、現代ならではの視点も多く、まさに「時代を語り合う」時間となった。
後半は先週の「七夕朗読会」を開催して何が得られたか?についての対話。人前で朗読することで実習等へ向けて大きな自信になったという声も多く聞かれた。音声表現は「動作の程度」によって出る声が変わって来る、という体験的な学びもあったようだ。そして多くの学生が学び取ったのは、「表現することはつながること」ということだ。仲間がいて観客がいて文学がそこにある、自己を取り囲むものたちへ「声」を媒介としてつながる。本来は僕たち人間が必然的に社会の中で体得していることかもしれないが、新型コロナの2年間のトンネルもあってそれを再確認する必要があることも実感した。「朗読」にとって「聴き手」の存在は、大変に重要だ。言い換えるならば、「文学作品」にとって「読み手(黙読であっても心の中で声を出して読み、単なる文字表現を生きたものに変換する)」の存在があってこそ「文学」として成立できるということ。そして何より「朗読」することで「わたしはひとりじゃない」ことが強力に自覚できる。ゼミの学生たちは、「声でつながる」ことを体験できた。実習で実利がある、などという小手先な問題ではなく、彼らの人生が確実に豊かになったはずだ。
大学祭で朗読発表はできないのか?という提案も
県レベルで年代を超えた「文学フェス in みやざき」の企画も
わたしはひとりじゃないー「朗読は人をつなぐ」
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