正直に向き合って何が悪いのか?
2022-07-12
「世の中はそんなもんだ」という言い方世論とか世間体とか得体の知れない流れにしがみつくより
自らの信念と自らの目と耳で正面から正直に向き合うということ
子どもの頃、近所に比較的仲のよい同級生がいた。大手寝具会社社員の親を持つその同級生とは、社宅に行ったり寝具会社内に遊びに行ったりとまあ「友だち」と呼べる間柄だった。ある意味で「大手会社」とは?その社員とはこんなものか?という幼少時の体験であった。正直に自営業に向き合う僕の両親との差も感じたのだろう。だが僕は「大手会社」よりも、自らの両親の営みに誇りを持っていた。正直に地道に日々の営みを続ける、そんな両親の姿から多くを学んだ。小学校も中学年になり、その同級生と近所の公園で遊んでいた時のことだ。「かけっこの勝負」をしようと向こうから提案があった。僕は何も言わずにその「勝負」を受けた。いざスタートしてみると、明らかに僕の方が足が速かった。スタートの合図を彼がかけるにもかかわらず、僕は出足から圧倒した。すると彼は「今のは練習」と言って、劣勢な「勝負」を勝手にあって無き物にした。再スタートに僕は無言で応じたが、それでもまた明らかに僕の足は彼を圧倒した。再び「これは練習」と彼は「自分が優位にならない現実」を受け入れようとしなかった。その後も数回くり返されたであろうか、やる気が萎えた僕はスタートから走りを緩めてようやく「作られた勝負」が成立した。明らかに「僕は勝った」という自信を持って、その後に彼と遊ぶことはほとんどなくなった。
前述のことがその後も大人になるまで、こうして今でも鮮明な記憶にある。「お前はズルい」と言うべきであったのか?という自己嫌悪も伴う。だがその時に根付いたものは、「正直な実力は裏切らない(他人は裏切っても)」という自己の熱い思いであった。社会的な体裁よりも「人生は実力」だと思った子どもの頃の経験である。参議院議員選挙が開票され新たな議席が確定した。TV報道で様々な当選議員の弁を聞くことになるが、果たして顔の見える有権者一人ひとりに向き合い大切にしようとする議員はどれほどいるのだろう?と思ってしまう。企業や団体など大きな組織に依存し票を集め、投票行動をしてくれた「有権者個々」より「国のため」という人たち。選挙という制度は、僕たちの代弁者として生活の実情を国会に届ける人を選ぶための「民主主義」によるものだ。だがしかし「集団横並び」を好むこの列島の人々の意識が反映してか、「組織票」という実情がその結果にも見え隠れしている。「大手会社」に身を寄せ、「個の思い」よりも会社の論理が優先する中での生き方。そんな「没個我」な生き方は僕には受け入れられない。長く中高教員として勤めてきたが、何より考えるのは向き合う「現場の生徒一人ひとり」である。「学校」の論理が優先して生徒個々が呑み込まれそうな時、僕はいつも会議で異を唱えた記憶が鮮明だ。正直で何が悪いのだろう?一人ひとりの現場を見据えた信念を貫く生き方から、また多くを学ばせてもらったように思う。
正直に背を伸ばして機嫌よく
僕はいつも自らの走る力を試してきた
母校でもなく所属先でもない「僕個人はどれほど走れるのか」を常に問いたいものだ。
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