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見上げてごらんー創発「七夕朗読会」開催

2022-07-08
「声」が悪者であった2年間を超えて
僕らはここに声を出し、平和を祈り多様な命に気づきたい
附属図書館で学生たちが自ら創造し発信する活動として

七夕には、笹の葉に願い事を「文字」で書き付けた短冊を吊るす。大学ともなるとこんな年中行事であっても何も意識されない。小中学校であれば笹の葉を校内に飾るところもあるだろう。だが果たして「七夕」という行事はどんな意識で何をして過ごすのか?文化の継承という意味では、誠に心もとない世情である。偶然、ゼミ設定日である木曜日が「7月7日」であったことも手伝いゼミ主催により附属図書館創発活動として朗読会を開催した。新型コロナに惑わされてきた2年間、そして世界の平和を揺るがすウクライナ侵攻という事態、世界共通の願いとして「平和」を特筆せなばならなくなった。僕たちは一人ひとりが「声」を出して文学を読むことで、自らの多様な命に気づきたい。「命」に気づいていない人などいるか?と言われそうだが、現実に「命」への意識度は薄くなってきてはいないか?「命」より大義、「命」より体裁、物価高が現実的な問題として知らぬ間に押し寄せ、僕たちの「命」の首を締めようとしている。これまでも多くの詩や歌が「命の尊厳と多様さ」をうたって来た。短冊ではなく「生の声」によって、僕たちはそれに気づきたい。

ゼミの仲間とともに、共有した「詩」に「声という命」を吹き込む。書物の中で「文字」として眠っている「詩」は、「声」を与えられることで「いのちのことば」になる。録音でも動画でも駄目だ!生身の人間が生身の身体で集まり、この地球の上の何処かで響き合う「声」を発して聴き合う。詩人たちがこの世に遺してきた「声」、詩人たちがあれほど警告していた「声」、詩人たちがいかに人を愛してきた「声」、僕らは再び詩を「声」にすることで初めて気付くことができる。自ら閑かに心の中で「声」を出すのもいい、そしてまた誰かとつながるために「声」を空間に投げ出してみる。教員を目指すゼミ生たちが、こうした意識ある「声」に自覚的になることは机上の空論よりも大切なことと考えている。教員になって児童・生徒らと向き合う際のことばは「届く声」でなければならなだろう。いたずらに「大きく」出せばいいのではない、穏やかに他者の心を傷つけぬよう、穏やかに柔らかく「届く声」を目指したい。朗読会には、以前から懇意にする詩人で高校教員の方が「特別ゲスト」として朗読参加してくれた。今後も季節ごとに、さらにゼミ生以外の朗読も受け入れながら、附属図書館で声を創発していきたい。

いま文学にできること
明日への希望へ進め、進め、
雲の多い宮崎の七夕の星たちへ、僕たちの声は届いただろうか。


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