あの頃の気持ちいくつか〜リーダーになりたい思い
2022-07-07
小学校の学級委員長は「内閣総理大臣」とされた部活動と生徒会長の両立はなるか?
幹事長と連盟展覧会委員長など両方できるものか?
一定の年齢になると、「早生まれ」にある種の優越感が伴うようになった。年齢の2桁目が加算される時など、同級生より9ヶ月は遅く「歳をとる」からである。生きている総時間数は同級生に追いつけないが、ゆえに健康長寿を心がけた生活を意識すべきかもしれない。近所の親友が次のようなことを言った。「死を意識すれば生活は濃くなる」確かにそうだ。「明日、死ぬとしたら何を食べたいか」という「最後の晩餐」の理屈に顕著なように、財産を遺してもあの世には持っていけない。同様なことは中世の『徒然草』などでもよく語られていて、「無常」を意識してこそ「現世」での生き様は充実すると云う。「早生まれ」の体験に話を戻そう。幼稚園から小学校3年生ぐらいまでは、誠に引っ込み思案で集団に付いていけず学習なども遅れ気味な存在であった。だが4年生ぐらいからなぜか「学級委員」になりたい気持ちが芽生えた。当時の担任の先生が「学級委員」のことを「内閣総理大臣」と呼ぶように社会(公民)意識を持たせようとしていて、「僕は内閣総理大臣になりたい」という願望を強く持った。だがそれは簡単ではなく、1学期も2学期も優秀そうな級友に及ばずだったが、3学期になってようやく僕は「総理大臣」になることができた。
中学校に入ると野球部の副主将、高校に入ると部活に熱中しつつ「生徒会長」に立候補した。文化祭をもっと盛り上げたいと全校朝礼で演説したが、その後の選挙で落選した。怪我の功名か、さらに広い世界を知りたいという願望が高まり、高校時代は部活と大学受験との両立に専念できた。その結果、第一志望の大学に合格しさらに大きな人生の転機を迎えた。全国から優秀な学生が集まっている母校で、その荒波の中でも目立つ「リーダー的な存在」になりたいといつしか思うようになっていた。その結果、文学部日本文学専修の「学生研究班代表」を務めることになった。片やサークルでは、3年次に幹事長、さらには東京10大学の連盟の書道展覧会実行委員長も兼ねて務めることになった。サークル内では前例がなかったのだろう、「会内が疎かになる」と懸念されたが、親友が「副幹事長」をうまくこなしてくれて、自分では支障なくそれぞれの「長」を務め上げることができたと自負している。なぜにここまで自分は「・・・長」たる仕事を吸い寄せるのか?などと当時は勢いで何事も猛進していた時代だった。もしあの頃、「研究」だけで本にばかり向き合っていたら?どんな人生になっていたのだろう。「何より今、いまを濃く生きる」という宮崎の親友の言葉に、ふとこんな過去の経験を思い出した。
「いま」を生きる密度を考える
未来への不安で「いま」」を無駄にしてはいないか?
コロナでも世情の不安があっても「陽はまた昇る」のである。
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