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その電気!果たして必要なのでしょうか?

2022-06-30
「この電力」は本当に必要なのか?
「(電力に)お金をかけて身体を壊してどうするのでしょう?」
近現代化した身の回りの生活をあらためて考えてみる

自宅トイレの便座上の蓋が壊れた。トイレ内に入るとリモコンに搭載されたセンサーが反応し、便座蓋を電力で自動開閉させる高級な商品である。当初はこの商品を選ぶつもりはなかったが、電器店がサービスだと値引きを提案したためにこの代物になった。慣れれば手で開ける手間もなく、閉める際もバタンと強く当たらず快適な便器使用に次第に慣れてくる。だがまだ購入してそれほど経過していないのに、今回で2度目の故障である。比較的僕が幼少の頃から、ある国内著名電気メーカーへの信頼は両親も厚く、「故障しない」というイメージがあったが、ここに来て洗濯機の故障にも遭遇し考え方が変わりつつある。もとより、便座蓋の開閉に電力使用そのものが必要なのか?という疑問に立ち返る。家電品が「便利に」いう開発競争の中で、本来は不要なものに電力を使用する製品が増えたのではないか、などと考えてしまう。老人などが初めて入る他者の家のトイレで、自動開閉した蓋に腰を抜かしたという笑い話も聞いたことがある。考えてみれば多くの店舗が自動ドア、コロナ禍で接触を避けるという発想からさらに拍車が掛かった分野ではないか?確かに自動でないドアの「押し引き」ノブなどへの接触は、気を使わざるを得ないのだが。

東日本大震災の後、東京も計画停電などが実施され、公共の場所の電力使用が控えられた。街灯は暗くなり、地下鉄を始め駅のエスカレーターは停止し階段を使用するのが「普通」になった。もとよりなるべく自らの足で歩くべし、と考えている僕はそれ以前から駅などでも階段を使用していた。現在も東京などへ行くとエスカレーターは動いているが、あまり人の使用しない階段を昇り行く偏屈者である。また大学では基本的に「エレベーターを使用しない」と決めており、よっぽど多くの荷物を持っている時以外は使用しない。研究室は4階なので1日にすると20階から30階のビルを階段で昇り降りしている計算になる。だが一向に億劫でなく、むしろ健康に貢献している行動だと思っている。中高教員だった頃、保健室の養護教諭が全校朝礼で「(エアコン電気代に)お金をかけて身体を壊してどうするのでしょう?」と訴えたことを覚えている。教室のエアコンは強めると一定の座席に風が直接に集中し、間違いなく当該の座席の生徒が夏風邪を引く。若い身体は当然ながら熱量が多く、授業に行くと極端な設定温度や風量にしているのは今の大学でも同様だ。昔を思えば、大学の教室にはエアコンがなく、図書館の特定な部屋とか学生読書室の一部にしかエアコンはなかった。ここまで温暖化して6月からこの気温、どうやら人間は自らの「便利・快適」に溺れて自らが「エアコンなし」では危険な環境を作って来てしまったようだ。近現代の「便利・快適」が、自然な人間の身体を変質させ地球までもを壊してしまいかねない。

エアコンは適切な温度で
家の中では待機電力のコンセントは抜いている
研究室の照明も三分の一にし節電に協力してみるのであるが。


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