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宮崎大学公開講座「牧水をよむ」第1章「永遠の旅」その2「故郷」

2022-06-26
「われ歌をうたへりけふも故わかぬかなしみどもにうち追はれつつ」
「父母よ神にも似たるこしかたに思ひ出ありや山ざくら花」
「しとしとと月は滴る思ひ倦(う)じ亡骸(むくろ)のごともさまよへる身に」

毎月第4土曜日に開講している公開講座「牧水をよむ」第2回目。ゲスト講師に伊藤一彦先生をお迎えし、宮崎市中心部「まちなかキャンパス」で実施している。「第1章」としたのは、牧水の第一歌集『海の聲』をテーマごとに読んでいる。毎回、テーマに即した歌を伊藤先生と僕の双方が10首を選び資料としている。同じテーマゆえに共通した歌もあるが、双方の問題意識で違った歌があることも大変に興味深い。これこそが短歌や牧水の多様性であり、一面的な見方に終始しない短歌史に名を遺す歌人の普遍性のようにも思う。各自が創作した歌会でもそうだが、「わかりやすく人気を集める歌」が秀でているとは限らない。多様な解釈を赦し永遠の問い掛けに呼応する歌こそが名歌と言えるのだろう。今回はそのような「歌会」の方法も講座の展開に応用し、受講者のみなさんに資料の中から「好きな歌」をそれぞれ1首ずつを選んでもらった。その歌にコメントをいただいた中には、受講者のみなさん自身の「故郷観」がよく表れていた。「故郷の地形」「父母の影」「みやざきの素晴らしさ」等々、牧水が歌として遺した「永遠の旅」の中で、よむ我々の人生が投影される機会となる。

第1歌集のしかも巻頭歌は、大変に重要だ。冒頭に記した1首目が牧水の巻頭歌で、「歌をうたへり」ということの様態が「故わかぬかなしみどもにうち追はれつつ」だと云う。「かなしみ」をひらがなで表現しているのも多様な語義への解釈を許容し、「哀し」「悲し」「愛し」など古語への思いが広がる。読者は巻頭歌で「謎かけ」をよんだ気分になり、先の歌をさらに読みたくなる。また「あとがき」も重要であり、そこにある歌人の思いや訴えにこそ歌集を読み進める誘惑があると伊藤先生の弁。意図せず「第1歌集制作論」も披露され、歌作に取り組む方々には大変参考になる内容となった。また牧水は「世にみなし児のわが性(さが)」と詠むが、「涙わりなしほほゑみて泣く」とあるように孤独の心の二面性を詠む。富国強兵政策が吹き荒れる明治40年代にさしかかる頃、これほど「(男が)かなし」を詠むことには勇気が必要だっただろう。だがその素顔の心を詠むのも、牧水の純朴さである。そしてやはり「故郷」といえば「父母の歌」、「母恋し」「父母よ」「日向の国」など「初句切れ」の韻律を模索しつつ、「父の威厳」そして「母への絶えない慕情」を詠む。十二歳から故郷を離れ延岡で学校生活を送った牧水、二十歳には文学を志して東京へ。思春期に母とともに過ごしていないことが、一生涯にわたり「母」を慕う要因にもなったのではと伊藤先生。「故郷」の旧友たる日高秀子の夭逝、「蟋蟀(こおろぎ)」の声に「涙もまじるふるさとの家」、そして「大河」は「海避(よ)けて行け」という思いは、やはり故郷の坪谷川が世界に宇宙に連なるもので、自らが旅に自然に永遠に歩み続ける象徴でもあっただろう。

宮崎県南部の無医村に出張していた父を訪ねた際の歌も
「わだの原」「檳榔樹」「都井の岬」
次回7月はいよいよ「牧水と恋」の回となる。


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