いま文学にできることーなぜ文学を学び教えるのか?
2022-06-24
ゼミで3班に分かれての共話国語教員を目指す学生が基礎基本として据えておきたいこと
「文学」を読まないことは人生の損
ゼミ活動で標記のような共話・対話活動を実施した。「国語」で「文学」を学ぶことは当然というわけではなく、その意義が世間で問われつつある。論理的で実用的な言語生活ができる能力を育てよという方向性が強調され、「文学鑑賞」に偏っていた「国語」の授業内容に疑義が生じてきた長い経緯がある。もとより「国語」という「一つの器」には、あれやこれやと要素を盛り込み過ぎている。「文字・発音・語彙・文法」などの言語知識や技術から、「説明的・論理的文章の読み方」「話す聞くの理解・表現」「文章の書き方」、などに加えて「文学的文章の読み方」さらには「文芸創作」まで、実に多様な要素を「一つの器」にてんこ盛りにしている。それゆえに、小学校の教員などは、その多様さを整理できずに混濁とした意識で授業に取り組まねばならない場合も少なくない。小学校で算数と並び一番授業時間数が多い基礎科目として、せめて「なぜ文学を学び教えるのか?」という命題に一定の考えを持った教員を養成する必要があるだろう。答えはそう簡単ではない、まさに答えは「風の中にある」のかもしれない。それは母国語を基盤とした教科としての難しさという点もあるだろう。だが「混濁」するからといって「文学」を斬り捨てよというのは、あまりにも乱暴な発想ではないか。
①文学を読む体験を通して、物事への対応力・対話力を養い、自分に向き合い情緒を豊かにすることができる。デジタル時代に映像化や「要約チャンネル」などがWeb上には溢れているが、それを観て「文学を読んだ」気になるのは違うのではないか。「文学」の「読み」は個々に多様性のあるものと捉えておくべきだろう。
②「文学」とは「文を通して人生を学ぶ」ものである。喩えるなら「焼酎とアタリメ」みたいなもので、味わうたびにその味は変化するものだ。身近な内容で「心を動かされるもの」であり、「共感」する気持ちを養うという大きな目的がある。
③「文学」とは「人間が歩んできた経験」そのもの、言葉にできないもの、形のないもの、目に見えないものを定義していく。「文字表現」のみならず、古典芸能の落語なども含めた口誦文芸を含めて広く「文学」と捉え直し、学びとして教育に活かしていくべきである。
以上①②③は、3班のゼミ生たちが共話・対話した内容の概略である。肝心なのはこうした内容を共有すること。そして自らが受け身の「理解」のみならず、「表現」に多様に取り組むことである。
この世界情勢の中で「文学にできること」
ゼミでは来月7月7日「七夕創発朗読会」を公開で開催。
広く「文学」に共感と驚愕を抱いてくれる学生たちに集まって欲しい。
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