「自分で守れ ばかものよ」心に落ちる群読
2022-06-21
「苛立つのを近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし」(茨木のり子『自分の感受性ぐらい』より)
担当科目はほとんどが「日本文学」関係であるが、唯一「国語科教育法基礎」という科目をオムニバス(複数人担当)で15回の半分を担当している。2年生前期という段階でもあり、教育学部に進学して1年間が経過した時点での学生たちが、「教室で自らが授業をする」という喜びへ向き合う最初の機会であると認識している。基本的に学部は「教員養成」を旨としており、将来教員となる志があることを、すべての受験生に面接も課して確かめている。かつて高校教員もしていた僕であるが、進路指導の要諦はやはり「将来への志」である。「偏差値で入れる大学」というような安易な進路指導は行わなかった自負がある。向き合う高校生の一生の幸せを見据えて、豊かな将来へ導くのは「やりたい職業」を目指す志こそが何より大切である。大学に入学してくる学生たちをその後4年間にわたり、その志望を萎えさせないことも大切だ。往往にして実習などで現場の現実を知り、夢が萎んでしまうことを避けねばならない。向き合う子どもたちとの交流で得られる教師冥利の真似事のような体験、さて「国語科教育法基礎」ではどんな仕掛けをこの時期に提供しようか。
大学公募で採用される契機ともなった著書『声で思考する国語教育ー〈教室〉の音読・朗読実践構想』(2012・ひつじ書房)を出版してもう10年となった。僕が中高教員時代に実践していた「音読・朗読」を活用した授業方法が基礎からジャンルごとに掲載されている。まさにこの著書をテキストとして、演習を試みることこそ「教育法基礎」に求められる内容だ。この日は「第3章 韻文(詩歌)の音読・朗読実践構想」をテキスト掲載の教材を活用し実際に群読などを体験してもらった。山村暮鳥『雲』で教師がなりきる声の出し方を体感し、谷川俊太郎『朝のリレー』では群読を理屈ではなく脚本を自ら声にして体験した。その後、テキストにはない茨木のり子『自分の感受性ぐらい』を題材に、25分間で4人の班で「群読脚本作成」から「リハーサル」「ゲネ」までを行い、講義の最後に6班すべてが発表をした。班ごとに構成する学生らの個性ある工夫が見えて、こちらも大変に楽しませてもらった。そして肝要なのは「自分たちの今」に照らし合わせ、この詩を表現することで自らの「心に落ちてくる」ことだ。「初心消えかかるのを/暮らしのせいにはするな/そもそもがひよわな志にすぎなかった」という聯などには、まさに「教師への初心」を持った自らを照らし合わせて欲しかった。「詩を読む」ということは、単に他者の感性を味わうのではない。自らが詩の声の主になりきり演じることだ。この2年間「声」が「悪者」となっていたが、そろそろ学生たちとともに身体性を取り戻し始めたいものだ。
「駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄」(茨木のり子『自分の感受性ぐらい』より)
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