結願(けちがん)ー高揚と多幸感と
2022-06-17
「歴史上の人物から抜け出し、一人ひとりの心の中にいる空海」
(NHK新日本紀行『空海の旅』(再)より)
人生はいつも「希い・祈り・期待」をもって歩みたい。どんな現実が眼の前に現れようとも、希望を失わずに祈りをもって未来を待つことが生きることであるとも言い換えられる。まだ物心もつかない頃から、僕は母にこんなことを教わり育ってきたのだとあらためて思った。見逃し配信を覚えたので、昼休みに食事をしながら「新日本紀行・空海の旅」(2021年6月放送の再放送)を観た。番組で紹介された東京の西新井大師は母方の親戚の家が近かったせいもあって、幼少の頃からよく通い祈りを捧げてきた馴染みの場所である。特に大学受験時には、毎月21日になると母が結願を祈りに電車を乗り継いで通ってくれた。合格した大学学部の受験票がちょうど前日に郵便で届いた際には、それをそのまま持参して祈願をしてきてくれた。不思議とその大学学部に奇跡とも言える合格を果たすことができた。まさに「結願(けちがん)」、希望を失わず最後まで諦めずに歩み続ければ願いは結ぶのだという貴重な経験であった。あの時の経験は単に進学先の志望が叶ったのみならず、人生はこのように歩むのだということを高揚と多幸感の中で弘法大師が伝授してくれたのだと今でも思っている。
空海の入定した日が3月21日、月は違うが僕が21日生まれ。母方の曽祖母が弘法大師の信仰も厚く人々に奉仕をする方だったと幼少の頃から祖母に聞かされた。単に盲目的な信仰というよりは、生きる姿勢や文化を学び明日を拓くようなことを学ぶことができたように思っている。大学時代は書道サークルで「空海研究会」という有志会を東京10大学のうちに先輩とともに主催したこともあった。その頃に書いた臨書作品(空海の書を模して書いた作品)は、今も自宅和室の床の間に飾っている。また平安時代嵯峨天皇の時代の漢文を比較文学の対象として扱ってきたこともあり、まさに書と文学とにおいて空海から学んだことは計り知れない。僕の中では「信仰」という言葉では適さず、あくまで文化的偉人としての尊敬という方が近いと思う。その学びが冒頭に記した「希い・祈り・期待」であり、新刊著書でも空海には触れていないがこの姿勢を「待つ」というキーワードで語った。とはいえ今まで不思議な体験もないことはない。高校教員だった頃、勤務校の近くで生徒指導の見回りをしていた時、横断歩道に右折した軽自動車が不注意にも侵入してきて、僕の左足に触れるか触れないかでタイヤが止まり事なきを得たことがある。冷や汗を感じつつその瞬間、脳裏に祖母の顔が浮かんだ。当該の番組は四国八十八ケ所も扱われていたが、そこでお遍路さんたちは「高揚と多幸感を得る」のだと説明されていた。まさに人生の「希い・祈り・期待」を縮図として体験することになるのだろう。大学サークルの一年先輩が、その一番札所の副住職であった頃に尋ねたことがある。「次は○○歳ぐらいで会えるだろう」とその先輩が口走っており(僕は内心、もっと早く会えると思ったが)、どうやらその「予言」通りの年齢が近づいてきた。来年は弘法大師生誕1250年法会が高野山で開催される。
疫病も退散せり、我も歩みてみようか。
ふと引き合わせてくれる人の縁に再び希望を心に抱く
文化を考えるということは「希い・祈り・期待」することでもある。
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