思い出はいつの日も自らを支える
2022-06-16
心を育ててくれたあの頃の思い出辛い時苦しい時いつも支えてくれる
心の保存容量を次々と広げて
一昨日の基礎教育科目「日本の恋歌ー和歌短歌と歌謡曲」では、「恋と思い出」をテーマに前年からリニューアルした内容で実施した。この講義も4年目を迎えるが、初年時120名ほどで比較的密集した教室でスタートした頃が懐かしい。2年目は受講者が240名ほどに膨れ上がり、ほぼほぼ遠隔講義で「ラジオ深夜放送」かのように音声のみを配信し課題の秀作投稿を紹介するスタイルを怪我の功名で得られた。3年目となる昨年は受講者150名ほど、人数的に感染が心配という学生たちからの声に応え対面と遠隔を同時進行させるハイブリッド方式で臨んだが、結局はオンラインを選択する学生を拒めず、対面に来る学生は少人数で固定化した。そして今年度は100名超の受講者を300名は入る大教室で対面講義をしている。なかなか学生たちと個々に向き合えないことは残念だが、「教室」というライブ感の中で新たな内容の展開を自ら楽しんで実施している。このように講義ひとつにも「思い出」がある。特に今年度は「歌謡曲」という部分を増量し、60年代から80年代頃の昭和歌謡曲やフォークなども扱い、学生たちに世代を超えた時代感を考えて欲しいと思っている。
さて今週の講義ではかぐや姫の「神田川」を扱った。「貴方はもう忘れたかしら」と歌い出す青春恋愛回顧の語りである。「横丁の風呂屋」「三畳一間」などと銭湯や木造アパートを舞台に「若かったあの頃 何も怖くなかった」と言いつつ「ただ貴方のやさしさが怖かった」というサビが印象的な一曲だ。僕らが学生だった時代よりもさらに上の世代感がある内容だが、母校が「神田川」に近かったせいもあって、その辺りの「風呂屋」とか先輩の「三畳下宿」などは体験することができた。この講義をしていて毎年思うのは、あらためて「学生時代」に戻りたいと思うことだ。学生らの若い感覚で書いた課題の創作物を読み、ついつい自分が学生時代の頃の「恋愛」などを思い出してしまう。そこには「後悔」とか「苦痛」とか「嫉妬」とか、そのような精神の彷徨も自ずと纏わり付いており、やるせない気持ちになることもしばしばだ。大好きであった人に根本的に否定され最寄り駅から自宅まで泣く泣く歩き、つい足が出身の幼稚園に向かっていたことを思い出した。園の正門前で深々と礼をして自己存在を確かめ、気を落ち着かせてから家に辿り着いた経験だ。出身幼稚園が僕の「心のふるさと」であるのは今も変わらない。人間はきっとそのような「思い出」に助けられて、「今」を生きている。青すぎて甘すぎて情けないあの頃の「自分」を鑑みて、受講する学生たちには後悔のない若い恋愛を経験してもらいたいと願う。
20代で「配偶者や恋人がいない」という回答が
男性65.8%・女性51.4%という調査データが新聞にあった
「日本の恋歌」という基礎教育科目としての「基礎」には大きな含みがあるように思う。
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