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親友が必要なわけ

2022-06-12
仕事が違う親友の存在
蛸壺から出て他の潮の流れを知る
無条件に「いまここ」を教えてくれる会話

もう10年以上も前のこと、どうしても大学教員になりたいと思い中高専任教員を辞した。その決断に至るまで数年は要しているが、その間に親友らからは「なぜ中高教員ではいけないのか?」「次が決まってから辞めたほうがよい」などと引き留めてくれる人も多かった。だが大学院同期で、やはり現職高校教員で先に大学専任になった友だちが「退路を絶って大学専任を目指すとは見上げたものだ」と讃えてくれた。この言葉が成功者の導きにも聞こえて、思い切った決断をすることができた。しかし、僅かな大学非常勤収入になってしまう新年度を控えて「東日本大震災」に見舞われた。自宅マンションの書斎は崩壊し復帰に約1ヶ月、その間、非常勤の講義も開始が約1ヶ月遅れたことにも助けられた。「地震保険」が出るほどの被害であり、書棚は買い換えることができたが、何しろ不安な非常勤への船出であった。そこから2年目は非常勤の口も増やしつつ、ともかく場所に拘らずに研究分野が掠めれば大学採用に応募をくり返した。たぶん常識的には考えられないほどの数の応募書類を書留で送り、自宅近所の郵便局の方に顔を覚えられ「今回は〆切に間に合いますか?」などと気配りまでいただくほどだった。「あの頃」の不安と焦燥に紛れていた自分に、「10年後の宮崎での充実した生活」を教えて上げたいと思うほどだった。

それにしても宮崎には縁もゆかりもない、イチローが加わった2009年WBC日本代表キャンプに単身で3日間の休暇を取って観戦したのが人生初の宮崎だった。その観戦した球場にこれほど近い場所に居を構えるなど、夢にも思っていなかった。しかし宮崎に移住して来てすぐに、近所にその後「親友」となる夫妻と出逢った。飲食店を経営していたこともあって、週に何度も足繁くお店に通い様々な話題で盛り上がった。かの夫妻も旦那は東京出身でサーフィン移住、奥様は宮崎出身だが東京での生活経験が豊富であった。もしかすると東京でも似た地域で活動していたのでは?などという話題で盛り上がり、宮崎の先輩として様々なことを教えてもらった。僕にとって貴重なのは、まったくの異業種の親友であること。自営業を様々に展開する彼らが社会の荒波を超えて行く姿には、いつも大変に励まされる。コロナ禍となったこの2年も双方に双方なりの困難があった。だが話すと大胆で自由奔放な発想を聞かせれて、いつも勇気づけられる。親友たるや、同業者ももちろん必要だが、社会を広く知る意味で多様な親友が必要であるとあらためて思うのである。

中学校野球部の時の親友
大学時代の親友たち
いつもどこに住もうとも親友を持てる人でありたい。


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