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「敵と味方」は身近にいっぱい

2022-06-10
たにかわしゅんたろう ぶん
Noritake え
『へいわとせんそう』(ブロンズ新社)

昨日の朝7時のニュースに、詩人の谷川俊太郎さんのインタビュー特集が放映されていた。冒頭に記した「へいわとせんそう」という絵本について、いつもの力強くも柔らかで含みのある口調は健在である。1931(昭和6)年生まれの90歳であるが、何とも聡明にこの世界の矛盾をことばにして「注意深く拒む」姿勢はさすがである。当該絵本は2019年出版であるから、何も今回のウクライナ侵攻に寄せての制作ではない。この数ヶ月、「平和」「へいわ」が声高に叫ばれるようになったが、事が起きてから騒ぐのはむしろ「平和」の意味を深く知らないことになるだろう。いつでもどんな時でも「注意深く」声を上げ続けることこそが「平和」を築くことを、あらためて教えてくれるのが谷川さんのことばである。出版社が提示している絵本のことばに次のようなものがある。「戦争が終わって平和になるんじゃない 平和な毎日に戦争が侵入してくるんだ 谷川俊太郎」まさにウクライナの現状を予見するかのようなことばには、柔らかい迫力がある。

放映されたインタビューの中で一番印象に残ったのは、世の中が「敵と味方」に分ける傾向を色濃くしていることを指摘したことだ。日々のニュースで我々は「ロシア vs NATO」という図式を痛いほどに見せつけられている。もちろんロシアの軍事侵攻は許すまじき暴挙であるのは前提として、「ロシア=敵」という見方を多くの人が必然的に抱くようになる。だがインタビューでも紹介された「みかたのあかちゃん」「てきのあかちゃん」ということばにまったく同じ「あかちゃんの絵」が添えられた絵本の表現は、人が生きる上で「敵と味方」はないということをあらためて教えてくれる。国境を引く、枠の中で自国を愛せよと強いる、囲われた偏狭な空間で外を敵とみなす。このような愚考が「戦争」を引き起こす発端になる。となると世界の国家の問題だけではない、我々は身近な日常生活でも意識・無意識のうちに周囲を「敵と味方」に分断させてはいないだろうか?家族の中でも「好き嫌い」があったり、学校でも「友だちかそうでないか」とか、仕事の上でも「できるできない」とか何かと文句をつけて、自らの周囲を「分断」してはいないか。「平和」とは「たいら」で「なごむ」ことを云う。多様な考え方を受け入れ、決して自己の枠に固着しない。「融和(とけてなごむ)」ために人間は「ことば」を持つのだ。

あなたもわたしもひとをわけてはいないか
狭い了見から抜け出し明るい世界を見てみたい
あらためて今こそ詩歌なのだと谷川俊太郎の偉大なことばから学んだ。


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