紫陽花を買いにー庭を育てよう
2022-06-06
市民一斉清掃で歩道から遊歩道の「雑草」を「紫陽花」が庭にあったらと園芸店とホームセンターへ
以前に小さな苗を植えたブーゲンビリアとともに
朝8時から市民一斉清掃、自治会の班別に歩道や遊歩道の清掃に出る。この2年間ほどの感染拡大で人が集まる「一斉」もしばらくは実施していなかった。歩道の植え込みには、その数年前に実施した際に抜いたはずの「雑草」たちが根強い。歩道のアスファルトの割れ目から強く伸びたものは躊躇ないが、植え込みにあるものたちは「抜くや否や」と迷うものもある。この思いは、先日の心の花宮崎歌会で伊藤一彦先生の次のような趣旨の発言が脳裏に強く残っていたから生じたものだ。「雑草たちもそれぞれに名前がある。『雑草』と分類されるとは思わない。」という内容だ。語彙として「雑魚」「雑巾」「雑種」などと「雑(まじりあう)」という漢語で使用されるが、確かにそれぞれに「大切な名前」があるものだ。漢和辞典を繰れば「雑」に「いやしい。低俗な。」の語義項目も見えるが、「雑」で大括りにする発想が「差別」への一歩でもあるだろう。何気ない日常の考え方にも、このような「諍い」に向わしめる発想があることを意識すべきだ。短歌をよみ批評することが、日常生活を優しくしてくれる好例だと思う。
歌会の伊藤先生の発言でもう一つ印象深かったのは、「うちの庭にも山紫陽花がある」というものだ。その時、僕は自分の庭を思い浮かべ「何がうちにはあるか?」とやや情けない気分になった。この時期、宮崎の街を歩いていると至る所に綺麗な紫陽花を見ることができる。朝のウォーキングでも十分に楽しんでいるのだが、やはり自宅の庭そのものにも棲む人の感性が浮き出るものだ。一斉清掃終了後、珍しく妻とハンバーガーを食べに行き、その足で園芸店とホームセンターへと向かった。園芸店でも様々な紫陽花があったがやや時節を逸した印象、紫陽花の品種だが思い描く「紫陽花」のイメージではない鉢植えだったので保留。すかさずホームセンターへ移動、その店内の第一印象もやはり紫陽花を購入するには出遅れた感があった。しかし、よく探すと思い描いていたまさに「紫」の「陽」の「花」と思える最後に一品残った素晴らしい鉢に出会った。「紫陽花」は『万葉集(巻20・4448)』に「安治佐為の八重咲く如く彌つ代にもいませわが背子見つつ偲はむ(橘諸兄)」も見えるが、古代中世の和歌にはあまり詠まれない。どうやら日本原産であったが、「Hydrangea」と呼ぶ西洋で品種改良されたものが近現代に逆輸入され、現在一般的な「紫陽花」のイメージになっているようだ。「山紫陽花」とまではいかなかったが、まずは大切な可愛い子が我が家の庭にも加わった。
ブーゲンビリアの小さな苗が実に碧碧と逞しく伸びる
「紫陽花」は強い品種で育てやすいとも
庭も小さな一歩の積み重ねである。
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