「芝生には聴こえる」ー第370回心の花宮崎歌会
2022-06-05
「言葉の怖さ」と戦争「深海魚」と眼疾
「みどりごの足音が芝生には聴こえている」
先月から復活した対面歌会、今回は前回までに設けていた1時間半程度の時間制限もほぼなくなり2時間半に及ぶ歌会となった。よく会食制限などにも「2時間」などとされるが、果たしてどれほど感染予防に効果的なのかと思う。歌会はマスク装着で検温(公民館入り口に自動装置が設置)換気を施し「喋る」ことが主となる。以前と違うのは、依然として「講義形式」の机配列ぐらいであろうか。兎にも角にも「短歌の仲間」と1ヶ月に1回、こうして集えることが実に尊いことを実感する。出詠49首、互選6票2首、4票2首、3票2首、2票3首、1票15首、可能性無限大25首という投票結果である。(事前にメール等で事務局が集計)それにしても詠草作成から互選の集計、また毎月の「こころの花だより」(宮崎歌会の事務連絡一覧プリント・今回でNo51)の発行という大変な作業を毎月重ねている事務局は、大変なご苦労かと思う。僕などはせいぜい司会として貢献するだけであるが、「歌会」が成立する裏にこうした事務作業があることを忘れてはならないだろう。来月はせめてもの司会者として貢献する予定になっている。
小欄には詠草の歌が特定されることは控えているが、興味深い議論を自らの覚書として記しておく。まず「さびしさ」という感情語の使用について、一般的に避けるべきとされるが敢えて使用すると効果的という場合があることを知った。その語の代替案も歌評の中で提示されたが、むしろ歌を「理屈」にしてしまう印象であった。牧水の歌などでは「さびしさ」「かなしみ」などはよく使用されるが、「時代」を考慮しながらもこうした感情語の高度な使用には注目した。それにしても「戦争」への耐え難い感情を詠もうとする歌は、現在はいずれの投稿歌でも多いだろう。次にこれもまた牧水の「海底に目のなき魚の・・・」の歌も取り上げながら評されたが、「深海魚と眼疾」とのつながりを発想した歌は大変に興味深かった。さらに「みどりご(嬰児)」が芝生を歩む場面の歌、「芝生に足音はするのか?」という疑問が呈されたが、伊藤一彦先生が「人には聴こえないが芝生には聴こえる」といった評をなさり図らずも腑に落ちた。「自然との親和性」牧水の歌に見える特長を、宮崎歌会そのものがどこかで意識しているといった議論も多く、地域の歌会として誠に特筆すべきことのように思われた。
選者出席者:伊藤一彦・俵万智・長嶺元久(各5首選あり)
詠草の歌は50首に迫る
さらに毎月ごとに平常の形態に戻ることを期待して。
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