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「共に在る感覚〜共話」と「関係殻」はどこにでも

2022-06-04
「未知の自分を発見する旅」「メタローグの重要性」
「聞き書き学習と新しいシェアのしかた」
(山元隆春「他者の自覚による話すー聞く「関係殻」の破壊と再生ー対話・共話、そして「聞き書き」の可能性」『月刊国語教育研究2022年6月号』より)

前述の論文を、一昨日のゼミで学生たちと共に読んだ。今週は4年生が教育実習中で3年生のみ、どんなゼミ内容にしたいかと投げかけると、宮沢賢治『注文の多い料理店』の授業における「言語活動例」をみんなで考えたいという学生からの提案があった。以前に4年生が今年度のゼミの大きな課題としてICT機材導入による本教材の革新的な授業を模索するため、読み語りを創作する機会があった。その際に基本的な読みを中心にした教材研究を行ない、さらなる展開が楽しくなったのだろう。いずれにしても、課題を学生自身が提起するゼミは理想的である。今回はただ「話し合う」のみならず、自らが「話すー聞く」行為をするにあたり、どんな意義と効用があるかを意識化しつつ、豊かな話し合いができればと考えてゼミ冒頭で前述の論文を読んでもらった。15分程度の時間であったから内容の理解は不十分だろうが、その後に2人1組で「言語活動例」を話し合うと実に様々な発想が出てきた。さらに各組の全体発表をすると、各組同士の発案がつながり始める。最終的に『注文の多い料理店』デジタル創作教材の制作をしたら面白いとなり、すべての組の発案が融合した。ゼミ生はまさに「未知の自分を発見」し「共に在る感覚」で「関係殻」のうちに豊かで創造的な発案を体感した。

論文で得た知識は活かさねばなるまい。また活かすことができる論文こそ意義あるものであろう。紙資料として理論的に「読んだ」としても、すぐに「腑に落ちる理解」にはならない。まさに「関係殻」のある「共話」を現場で体験することでしか、真の理解には到らないとさえ思う。特に教員を目指す学生ばかりの本学部での学びとして、「理論への偏向」は避けるべきだろう。このような問題意識を持っていたこともあり、4年生の教育実習研究授業の参観のたびに「教室での共話」のあり方を考えていた。感染拡大で一時はオンライン化などを経験した学校現場は、やはり「共に在る感覚」を持たないと学びにはならないという考えに明らかに「戻って」いる。それだけに「なぜ共に教室に集まらなければならない」のかを問題意識として持つことも必要ではないか、などとゼミ生の授業を参観して考えることも多かった。「共話」をすることで、自分が思いも寄らなかった考え方をしていることに気づく。「自分の考え」などというが、それはあくまで「他者との関係性」の中から生じているものなのだ。よって「予定調和」な「正解ありき」な学習を特に「国語」ではすべきではない。生徒が仲間や教師とそして教材と「共に在る感覚」、そこに生身の自己を預けて「共話」すること。きっと社会で必要なことは、こんな人と人との関係であろう。

母が通う絵画サークルには「共に在る感覚」がきっと
「話すー聞く」の耐え難い勘違いも横行する中で
学生たちと常に「共に在る感覚」を大切にしたゼミでありたい。


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