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この人がいる理由ー高木ブーさんの気になる存在感

2022-06-02
「ウケないことに僕の存在意義があった」
(NEWSポストセブンの記事より)
子どもの頃から気になっていた存在感を考える

冒頭に記したような高木ブーさんに関するWeb記事を読んだ。昭和のお化け視聴率番組『8時だよ!全員集合』などの最初のコントでは、常にいかりや長介さんが絶対的権力者。だが部下となる4人が笑いでその「権力」を融解していくような展開が実に痛快で腹を抱えて笑ったものだ。今でもこうして小欄を記しつつ、ある場面を思い出し思わず声を出して笑ってしまった。ある意味で絶対権力者には、真っ正直に向き合うのではなく「笑い」で対応せよと社会に良い意味での隙間風を吹かせるようなところがあった。現在は、そんな寛容さと笑いのある社会とは真逆の傾向が残念ながら強くなった。そんなコントで高木ブーさんは長さんの前に登場する一番手、ややトロいだけで「何もしない」ことに価値があったと記事にあった。その後が仲本工事さん、体操選手でもあったゆえ軽い身のこなしですんなり長さんを唸らせる。だがその後に加藤茶さんが独特のボケをかまし、最後に志村けんさんが予想もしない言動を炸裂させる。この順番のマクラ掴みの展開によって観衆はコントに惹き込まれる。だが加藤茶さん・志村けんさんをあくまで引き立てるブーさんの「何もしない」芸こそが、最後の笑いへの大きな濃淡の役割を果たしていたというわけである。

終盤のワンポイントコントでも同様だ。ブーさんは「フレンチカンカン」の女性たちの一員に紛れて華やかに横一線で舞台に登場する。まず視聴者は、美しい脚線美の女性たちの中からブーさんを探す視線で右往左往せねばならない。華麗に足芸たる踊りは続き、最後にブーさんが掲げられた石油缶に頭をぶつけて倒れるだけ。子どもながらに生放送ゆえ、加藤茶さんや志村けんさんが着替える「時間稼ぎ」だと思ったこともあった。だが華やかでやや色気もあるダンスの舞台とさして面白くもない一発芸にこそ、次のコントを引き立てる寄席でいう「色もの」の大きな役割があった。いま筆者は「面白くない」と書いたが、子ども心にブーさんのダンス芸は大好きだった。この存在感は後に「ダイエット補助飲料」のCMで見事に活かされた。太っていてもややトロくとも5人を下支えする役割がある、まさにドリフターズは現在で言えば「多様性」を象徴的に見せてくれていたといえるだろう。その「何もしない」ブーさんが、時に絶対権力者の長さんに逆らう言動を見せることが稀にある。すると他の3人が長さんに「言いつける」ような態度をとって、このイレギラーな行為を吊し上げることがある。『ドリフ大爆笑』の定番コント「雷さま」では、まさにこのブーさんのキャクターを最大限に引き出したコントだった。今や日本の「ウクレレ奏者」として3本指に入るといってもよいブーさん、さらに僕たちに弦の音色の深みを教えてくれる。本来のバンドマンとしての芯こそが、ドリフが表面的には見せなかった魅惑のリズムの奥行きを覗かせてくれる。

「何もしていない」ようで役割がある
存在感が無いことと「無いように見える」のは違う
家族全員が無条件に笑い合えた土曜の夜8時が取り戻せたら、などと考えたくなる。


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