肉筆の手紙と直接に逢うということ
2022-06-01
肉筆の手紙を親戚へ出した母仕事でお世話になった方の勇退に直接逢いにきた姪っ子
身体を寄せてこそ通い合うこころとこころ
担当基礎教育科目「日本の恋歌ー和歌短歌と歌謡曲」、毎週火曜日のこの講義を考えるに胸の高鳴りが止まらない。丸3年間の講義を経て関連した著書もしたため、コロナ感染拡大の中をオンライン講義の方法に一番苦労し精力を傾け年々発展進化させてきた講義である。今年は教育学部講義棟で最大の教室で実施しているが、プロジェクタースクリーンが巨大なために映し出す映像や音響の良さを活用するのに効果的な構成を考えている。この日は教育学部の学生が実習で欠席となり、やや淋しい教室であったが「手紙」ということを大きなテーマとした。果たして今の学生たちは、肉筆の手紙を書くのだろうか?主たる連絡ツールがLINEなどSNSであるのは、僕の世代でも同様であるが、時に肉筆の葉書や書簡をしたためる気持ちがどこかに巣食っているのも確かだ。かつて「恋」に「手紙」は不可欠であった、小欄をお読みいただいている諸氏もラブレターを書いた経験がきっとあるだろう。なんとか言葉にならない思いをことばにして、ポストに投函する気持ち。その後に相手がどう読むかという姿を想像したり、いつ返事が来るだろうかと毎日家の郵便受けを見たりする気持ちは大変に貴重な若かりし恋の経験であったはずだ。よって今回からの講義課題は、短歌の創作主体に向けた「手紙と返歌」である。
母が3年ぶりに親戚の会を今夏に開こうと、肉筆の手紙を10組ほどの親戚に書いて出した。通常はLINEグループもある親戚会であるが、やはり手書きの書状が届くというのは反響が大きかったように思う。それを一気に仕上げる母の筆力も大したもので、「漢字もスラスラ出てきた」という意味で大いなる脳トレになったようなことを言っていた。僕宛にも一通の書簡をもらったが、便箋の文字が待望の親戚会が開ける喜びに舞い踊るかのように読めた。「伝わる」ということは、単にスマホ画面上の文字で「上手く書けば良い」というだけではない。「読み手の中に意味を生成する」必要があることをあらためて感じさせる手紙であった。また姪っ子が仕事でお世話になった上司が勇退すると聞いて急遽、宮崎までやって来た。それ相当の距離もありメールや手紙という手段もあっただろうが、やはり直接に逢いに来るという意味は大きいと思う。こうした人と人との対面が、向こう2年ほど途絶えていた。「逢う」ことそのものが何よりも貴重で、こうした機会を控えるべきではないと思う。コロナにやり込められたこの2年間を、僕たちは感染には十分に気をつけながら取り返していかなければならない。母と姪っ子の「肉筆の手紙」と「直接の対面」という行為に、多くを気付かされた今日この頃である。
「手紙ー拝啓十五の君へ」
「カナダからの手紙」など手紙の歌謡曲
そして短歌こそ究極の「手紙」なのである。
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