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鄙と都の意識やいかに

2022-05-20
夏目漱石『坊っちゃん』
遡れば「令和」典拠・太宰府に来た大伴旅人
地方にあくがれた自らの経験などから

NHKの朝の連続テレビ小説は、たいてい「ヒロインが故郷を離れ都会で厳しい環境を乗り越えて様々な人々と出会う経験を重ね、人間的に成長し恋も成就し成長する物語」である。現在放映中の「ちむどんどん」も本土復帰前の沖縄から、ヒロインがようやく東京に出て来たあたりを現在展開している。都会の冷めた対応にぶつかり辛く怖い思いをしながら、「沖縄県人会」のコミュニティーに出逢い助けられ鶴見に下宿するわけである。故郷とは、かくも温かく出身者を受け入れてくれるものか。第二次世界大戦のあまりにも悲惨な沖縄、その後の米国の占領状態によって、むしろ沖縄の人々の結束の意識は高い。大切なのはやはり人と人との繋がり、自らが安堵できるコミュニティーがあるや否やということだろう。ゼミにて漱石の『坊っちゃん』を対象として、「鄙」と「都」との問題を考えた。教師となって松山に赴任した主人公が、生徒の諸々のいたずらな対応に愛想を尽かす部分がある。「東京であれば」というような意識が随所に語られ、「鄙」に馴染めない自らを発見していく物語でもある。

「生まれも育ちも東京である先生はどうなのか?」という質問をゼミ生に受けた。自分の胸に手を当てて考えてみると、たぶん宮崎に来ることが決まる以前から「鄙」の生活にむしろ憧れていた節がある。東日本大震災が宮崎に来る2年前に起こり、東京で「震度5強」の地震に見舞われてマンション12階であった自宅書斎が崩壊した経験もその意識に至る大きな要因であった。それ以上に、自然に囲まれて生きることや自動車で自由に往来できるような生活への憧れのような思いが増幅していた。ゆえに「都」を離れることに後ろ髪引かれることもなく、新たな世界、新たなコミュニティーに住みことができる喜びに満ちて宮崎での生活を始めた。公共交通機関が不便であるとか多くの流行りの店舗がないなどは、全く否定する要素ではなかった。その自然と食材と人の温かさに多く癒される環境に出逢うことができた。正直言ってもう「都」に住む意味は、まったくわからない。この2年間の新型コロナ感染拡大に遭遇し、なお一層その思いを強くしている。東京一極集中が問題となるこの国でも、ようやく東京からの人口流出が顕わになりつつある。あるWeb記事でも、今後は大学経営でも多くの大学が乱立した「都」では厳しい状況が訪れることも懸念されているらしい。移動制限という経験をしたこの2年間で、多くの人が「鄙」の豊かな人間的な生活を発見する契機になったことを歓迎したいと思っている。

歩いて来てぶつかっても何も言わない「都」の人々
見知らぬ人でも挨拶をする現在の居住地の人々
幸福度ナンバーワンをさらに高めることへの貢献と自らが味わう環境がここにある。


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