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歌詞は型の構造で訴える

2022-05-18
歌詞の持つ「型」の構造
あることばで始まり、リフレインで終わる
学生の作品もこの構造を活かした作品を秀作とせり

担当科目「日本の恋歌ー和歌短歌と歌謡曲」も5回目を迎えた。概ね3回ごとに課題内容を変化させ、学生たちには多様な創作作品を求めて楽しんでもらっている。当初の3回は「物語(ラジオドラマ)を書く」であったが、前回から「歌詞を書く」とした。どんな作品が出てくるか楽しみにしていたが、秀作と判断した作品は尽く「型」を意識した書きぶりのものだった。一定の旋律の上に載せる歌詞であるゆえに、ある意味で「型」は必然である。前回は1975年、太田裕美が唄い大ヒットした「木綿のハンカチーフ」を取り上げた。その後最近まで多くのミュージシャンがカバーしていることも再確認した名曲である。遠距離恋愛となってしまった都会に行った男が「恋人よ」と語りかけることで始まり、後半は「いいえ、あなた」と地方に残った女が純朴な思いを語るという対話の「型」になっている。「都会の絵の具に 染まらないで帰って」と女は訴えるが、次第に男は都会が良くなって「僕は僕は 帰れない」という結末となる。そこで女が最後にねだったのが「涙ふく木綿のハンカチーフ」というわけである。この曲を聴くたびに当時太田裕美の大ファンであった従兄弟に捧げる曲だと思いつつ、僕は講義でこの曲を学生らに講じている。

この日の講義では、自著第1章に基づき「忘れられた待つこと」を考えた。講義冒頭に「あなた方が待てないもの・待てるもの」を周辺の人々と話し合ってもらい、スマホが当然の時代に生きる学生がいかなる「待つ」意識を持つかを対話してもらった。本来なら座席を巡ってインタビューをしたいところだったが、感染対策上を考慮して未だその方法は控えておいた。「恋において待つことは必然」である。そして「待つ」ことは決して負の要素ばかりがあるわけではなく、思考を沈着させたり縺れた糸を解く糸目を発見できたりするものだ。生きる上で「期待・希い・祈り」のある「待つ」ことができてこそ、新たなる境地に至ることができる。「叶わぬ恋に身悶え」ながらも人生の喜びを見出すことが歌われる桑田佳祐「ほととぎす[杜鵑草]」は自著に掲載した歌詞を参照してもらい、あれこれ学生たちに考えてもらった。そして1983年あみん「待つわ」、「わたし待つは いつまでも待つわ」の「型」がリフレインされる印象的な1曲だ。最後に1969年内山田洋とクールファイブが世にその名を知らしめた名曲「長崎は今日も雨だった」、前川清の「あああ あ〜長崎は〜」とマイクを引きつつ伸ばす声が印象的だ。「あなたにひとりにかけた恋」ながら「さがしさがし求めて ひとりひとりさまよえば」「愛し愛しの人は どこにどこにいるのか」と小刻みなリフレインが長崎の雨のように降り続き、「行けど切ない石畳」の情景を想起させていく「ひとり語り」の歌詞である。いずれも「恋人を待ち続ける」時間を信じている昭和の名曲と言えそうである。

武道や芸道の「型」の文化
キーワードとくり返しの訴える力
詩歌の味わいとの接点を考え続けている。


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