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ダメな己を知るから始まる

2022-05-07
マスクをしつつも音読をする際の声
課題に「短歌」としたのに「俳句」が提出されていたり
「ダメ出し」することから復活する意志こそ力となる

「褒めて育てよ」というのが、どうやら世間の潮流になっている感がある。ゆえに「学校」は「怒られない」場所になっており、教師がいささかでもそのような言動を取れば保護者が許さないといった環境が作り上げられてはいないか?過去には極端に怒鳴り散らしたり、体罰的な行為を「指導」と勘違いする風潮も否めずに存在していたことから、大きな反動揺り返し現象が起こり現状のような学校環境になってしまったのだとも思う節がある。月並みに「過ぎたるは猶及ばざるが如し」であり、過剰な怒声が禁ずべきことならば過保護ともいえる教育にも大きな非があると言わざるを得ない。「競争しない(徒競走などで順位づけをしない)」などという風潮もまた、むしろ他者との関係性を育てずに社会という荒波の中に飛び込ませる要因にもなる。ウイルスに免疫が重要であることをこの2年間は痛いほどに感じた我々であるが、ワクチンに副反応が出るように身体の「抵抗」こそウイルスを跳ね返す力となる。その道で「一流」となった人々を見れば明らかだが、「ダメな己」であることを自覚し「他者から笑われる」ような経験をしてこそ、高みまで登ることができたという道を歩むものが大半であろう。

今年度は「大学教育入門セミナー」を4年ぶりに担当しているが、そこですべきことこそ「ダメな己」であることを自覚することではないだろうか。「教師を目指す己が今はダメダメで何もかもできないことだらけ」を自覚してこそ、4年間の学びの意味が明確になる。教室で子どもたちに届ける声も、教材に対する的確な認識も、読み手に伝わるレポートも、聞き手が納得するプレゼンも、あらゆることが「ダメダメ」であるからこそ教育学部で学ぶ意欲も意識も醸成されるはずだ。敢えて注釈をつけるならば、「意欲はやる気」「意識は何をどうするか」ということである。「入門」というからには「実質的な完成形」などはあり得ない、教師を熱望する「意欲」と「意識」こそが大切であると考えている。この日の担当回では、教室全員である詩を群読した。この2年間は「音読・朗読」なども「酒や飲食店」同様に悪者扱いされてきたわけだが、「届く声と聞く力」のない教師は4輪のない自動車のようなもの。マスクをしつつの”くぐもり声”はやむを得ないところだが、「自分の現状では教室の子どもらに声は届かない」ことを自覚すべきと思う。また前週に「学習」をテーマにした「短歌三首」を課題としたので、全員から1首ずつ選びクラスの歌集を匿名で公開した。すると中には「俳句(十七文字)」を出している学生がいた。これはこのクラスに限らず、大抵は受講者の5%ほどが「俳句」を提出するのが常である。それほど小中高で学ぶ知識が活用されるように習わせておらず曖昧であることがわかる。この事実を匿名ながら公表することで、「知識」と「活用」との学習における関係性を全員が学ぶ機会になった。たぶん「俳句」を提出した学生は、今後は「短歌」との区別を明確に活用するだろう。怒らずとも「ダメな己」を自覚してもらう方法はいくらでもある。

育つ段階に応じた方法を採る
他者との違和感とか摩擦からこそ学びは発動する
心の免疫なき子どもたちにワクチンは用意されていない。


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