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「青潮に入りゆく端」と「御崎馬」

2022-05-04
「日向の国都井の岬の青潮に入りゆく端に独り海聴く』(牧水)
青潮と御崎馬と果てしなく広がる青い空
希少な日本在来種・天然記念物から考えること

連休後半最終8日の母の日を前借りして、この日は母と義母を伴いまずはランチの会。キャンプ時には西武ライオンズが定宿としている南郷プリンスホテルに出向いた。好天に恵まれレストランの窓からのプライベートビーチには、穏やかな南郷の波に鳶が青空を舞っている。地獲れと思われる新鮮な海鮮物に舌鼓を打ちながら、穏やかな時間の中でゆったりと食事を楽しめた。ここ2年間の感染拡大でこうした家族の外食も控えていたところがあり、あらためて大切な時間であると思う。食事後は、この春に子馬が10頭ほども産まれていると云う都井岬に向かった。途中、猿の生息する幸島や密かなサーフスポット・恋が浦などの光景が鮮やかで快適なドライブとなる。連休での混雑も予想されたが、通常よりは多いものの耐え難いほどの混雑もなく都井岬に到着。新たにオープンした交流施設「パカラパカ」などに立ち寄りつつ岬の先端・都井岬灯台まで行き、まずは地球の中の大きな海の中で僕らが「今此処」にいることを実感する。

都井岬には既に3度ほど訪れているが、今回も新たな思いで新たな発見が多かった。駒止の門で「協力金」を支払う際にいただくパンフに拠ると、元禄10年(1697)に「岬牧場」が設置され、明治39年(1906)には頭数が最小(52頭)となっている。大正10年には「造林地を制限し、育成用の野草の確保を図る」となり、昭和7年の「一斉調査」で「150頭」が確認されたと云う。昭和28年には「岬馬とその繁殖地」が国の天然記念物に指定され、昭和43年に「保護対策協力会」が発足したと云う歴史がある。近代化に盲目的に邁進した明治時代に「野生馬」が絶滅に向かいつつある自然破壊が既に進行していることには注意が必要だ。その後の「大正デモクラシー」の影響か、昭和初頭にかけて頭数が回復しているのは興味深い。戦争を含めて明治以降154年間の歴史の上に僕らはあらゆる物事を考え直すべきだろう。今ひとつの大きな興味は、御崎馬たちの「野生の繁殖」である。再びパンフの説明に拠ると、雄馬1頭に数頭の雌馬が「ハーレム」を形成し日照時間が長くなる春から初夏にかけて出産・発情・妊娠をくり返すのだと云う。分娩間隔は「360日〜370日」で、妊娠すると翌春に出産ということらしい。生まれた子馬はすぐに立ち上がり母の乳を吸うが、本格的に草を喰む前に母親の排泄した糞を食し消化に必要なバクテリアを摂取するのだと云う。このように子孫を遺した後にハーレムの雄馬は、15歳ほどで力が衰えると雌馬が去っていき1頭になると静かに姿を消して、独り静かに誰にも分からず死を迎えるのだと云う。

「野生」であるとはどういうことか?
逞しく生きる馬の家族たちの姿に人間の弱さを知るところ
宮崎の自然、誠に奥深いものとして都井岬には今後もこだわっていきたい。


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