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龍馬の足跡を辿る京の旅(最終章)

2010-12-27
26日(日)いよいよ京都滞在の最終日を迎えた。宿の中は暖かく快適だが、京の街中は底冷えがして気温以上に寒く感じられる。昨日など、伏見で晴れた空の合間にある雲から、雪がちらついていた。坂本龍馬が暗殺された当夜も霙交じりで寒く、好物の軍鶏(シャモ)鍋が食べたいと言い、中岡の下宿先であった菊屋の息子である峰吉に、軍鶏を買いに行かせている。旧暦11月中旬であるこの季節に、京都を訪れたことは、この底冷えを体感する意味でも貴重であつた。

 宿をチェックアウト時間の11時に出る。まずは帰る際に通過点となる地下鉄の烏丸御池駅に向かい、コインロッカーに大きな荷物を預け身軽に。龍馬の足跡に関しては殆ど昨日までに見学を終えたので、この日はのんびりと気ままな街歩きだ。されど幕末という時代的テーマは、どうしても意識されるので、「禁門の変(蛤御門の変)」の跡を辿ってみようかと思い立った。

 初日午前中のアクシデントで、大政奉還が宣された二条城を訪問していなかった。行ってみると26日〜元日まで休城の表示。仕方なくお堀を見ながら、中学校の修学旅行以来の懐かしさが漂う界隈で、宿はどの辺りだったか考えたりしていた。堀川通りを北上。この日は、徒歩で京都市内の距離を感じるのもテーマの一つ。地図を見ながら通りを進むと、以前に、今は亡き伯母と京都で食事をした会館が右手に見えた。底冷えの中トイレが近いので、懐かしさと共に、ロビー奥にあるのを覚えていたので、ちょいと拝借。

 堀川通りに戻り、更に北上すると何やら変わったカフェを発見。有機野菜のみを使用した店だという。徒歩で散策するのは、こうした偶発性が常につきまとうのがよい。野菜のみで作ったというベジプレートを食す。堀川通り沿い、上長者町通りとの交点西側。カフェMORPHO。

 そこから中立売通りを西へ進み、北野天満宮まで。自身と妻の学問成就とともに、関係している受験生の大学合格祈願で参拝した。境内は初詣の準備が進められながらも、参拝客はそれなりにいて、拝殿の前では暫く並ぶほどであった。絵馬に祈願を書いて奉納する。

 北野より更に西側、天龍寺を拠点としていた長州軍が、東に向かい御所を目指して進軍した「禁門の変」。先ほど歩いて来た中立売通りから、一条戻り橋付近で三隊に分割し、御所の各門に攻め入った。その距離感を歩いて体感しようと思い、今出川通りを東へ。御所北西側の交差点に出る。その北側が現在の同志社大学。幕末には広大な敷地の薩摩判藩邸があった場所である。烏丸通りに面した門の脇に石碑がある。
 冬休みで静まり返った同志社キャンパス内を巡り、御所の北側へ出る。京都御苑内に入り、「禁門の変」で激戦地となった西側の門を目指す。人影も少ない御苑内であったが、時折、犬を連れた人などが散歩している。北側から中立売御門・蛤御門・下立売御門である。特に激戦地となった「蛤御門」には、長州側が放ったと思われる弾の痕があるという。行って外側に面した柱を見ると、幾つかの弾痕を確認できた。146年という時間は長いか短いか?京都という土地の歴史からすれば、未だ生々しい傷跡とも言えるのかもしれない。長州軍対幕軍の壮絶な攻防。蛤御門奥の大きな椋の木の辺りで、長州藩の来島又兵衛が、薩摩兵に胸を撃たれたということも、説明書きに記されていた。

 幕末という日本の大転換期。その中で大志を抱き、それぞれの主義主張を持って闘った志士たち。平穏な御所の風景が、この上なく平和な現在を象徴していた。蛤御門が何たる地であるかも知らないのか、その前にて笑顔で写真撮影をする中年女性の集団が、今の世の中を映し出していた。

 丸太町から地下鉄に乗り、烏丸御池で荷物を取り出し京都駅へ。新幹線は午後8時半頃なので、京都駅でもゆったりと過ごせる。土産物を購入してから、南北自由通路にある「時の灯」上にある和食「はしたて」へ。英会話講師が勧めていたこの店は、実に落ち着いて和食が堪能できる。この日は、酒は飲まないと決めていたが、ついつい京都地酒、辛口の「澤屋まつもと」を注文。肴は旬の寒ブリお造り。おちょこに辛口の酒を注ぎつつ、旅というものの意味を考える。





 この旅行中に見た、茂木健一郎氏の連続ツイート「旅」に次のようにあった。

 「何か」を待ち構え、「何か」を探し続けること。その「何か」は名付け得ぬものであり、出会って初めてそれとわかるものである。脳の中に空白をつくることで、その「何か」が呼び込まれる。

 ふだんの文脈をはぎ取られ、裸になってしまった自分を温かく見つめること。人が「自分探し」に旅に出るのは、つまりはその裸の自分に出会うためであろう。

 予定外のこと、アクシデントを楽しむこと。旅は偶有性の最高のレッスンでもある。旅にも初級から免許皆伝まである。偶有性を歓迎できるようになって、初めて旅の真髄に近づいていく。

 「今、ここ」の質に心を砕くこと。「今、ここ」はいつもあるはずなのに、日常の中でのかけがえのなさを忘れてしまっている。旅に出て、「今、ここ」を取り戻すことで、命が更新される。





 幕末、龍馬の足跡を辿ることで、「今、ここ」の質を取り戻した気がする。単に墓参や参拝などで、「気を貰った」などという前近代的な意味ではなく、自分の中で「何か」を待ち構える準備ができ、命が更新されたというものだ。これぞ、「龍馬」という一つのテーマを追跡して得た、今回の旅の意義であろう。

 東京駅を歩く自分が、一回り大きくなったと自覚できた。
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