ワープロ・スマホ・そしてオンラインへ向き合う歴史
2022-04-19
最初は「手書きを通す」と言っていた人たちガラケーにて「それ以上の機能は要らない」とも言っていた
この30年間の技術進化に向き合っている私たち
技術革新の速度は、日に日に加速しているように見える。例えばまだ20世紀後半だった50年前から「音楽を聴く」という日常生活の一コマを考えてみても、ラジオ・レコードが主だったものがスマホでサブスクというのが今や常識的ですらある。「サブスク」と聞いても「それは何だ?」と思う方もいるだろう。スマホで取得できる「Web上の定額サービス」で、音楽であれば提供する会社が持っている曲なら「聴き放題」であるというサービスだ。僕のスマホの中でも、以前からCDコレクションとして自ら所有していた愛するアーティストの曲を、自らデータ注入したものとサブスクの境界が曖昧になりつつあるような気がしている。もはや大量の物理的データを自宅で保管するという時代ではなくなったことがわかる。授業に向き合うのも同様なことが起こり、ここ2年間で学生の紙のレポートを受け取り評価し保管することはほとんどなくなった。研究室の保管スペースがだいぶ節約され、整理に時間を要していた紙資料が姿を消しつつある。学生へのレポート返却も、既に学生は提出するデータを保管しているわけだから不要で、システム上からコメントを返すことができる恩恵で、レポートへのコメントも以前より小まめにすることができるようになった。
僕らの世代でいうと、ワープロ・携帯・スマホ・オンラインの順に波が押し寄せた。学生時代のレポート・卒論はすべて「手書き」であったが、就職するとワープロが登場し始め、手書きで中高教員として「テスト」を作った記憶はほとんどない。ワープロは親が会社で購入したのか、一般化してすぐに家にあったこともありがたかった。当時の記憶では、職場の学校でも「手書きを貫く派」と「ワープロ便利派」が別れていたように思い出す。僕は「テスト」や「学級通信」も、すぐに「ワープロ派」に移行し、他の先生から「これを打ってくれ」と無謀な注文さえ受けた記憶さえある。30代になると「携帯を持つか持たぬか」論争が始まった。古風を気取り「あんなものは必要ない」と酔った勢いで言ったのを、よく覚えていて「持たないと言っていたじゃないか」などと言われたこともある。僕が携帯を持つ契機は、現職教員として大学院に入学したこと。職場の勤務時間が終わるや否やすぐに大学院まで自転車で飛んでいく生活をしていた時、緊急時に不可欠だと思ったからである。反対に「手枷足枷」というか「鈴を付けた猫」のように思わないでもなかったが、自らの安心感を保つにはありがたいツールだった。そして2000年代に博士後期課程に進むと、「携帯をスマホにするか否か」論争が始まった。「そんなにたくさんの情報を持ち歩く必要があるのか?」と当初は懐疑的であったが、ある機会に決断してもはや12年以上。今やスマホなくしての生活は、例えば新たな人との出逢いを含めて不可能とさえ思える。今や名刺交換ではなく、アドレスや友達登録交換が常であろう。そしてこの2年以上に及ぶコロナ禍、僕がまた新たに踏み出したオンライン授業の波は、授業でできる内容さえも遥かなる地平へと向かわせているような気がしている。いつでも新しいものを導入しても、毒されず本質を自らの中で維持する芯が求められるということだろう。
手帳は手書き併用、手紙も手書きの習慣を持ち続ける
自らを律してスマホ使用時間が過剰にならないように
小中でもすべての教科書をデジタルに、という記事も見たのだが果たしてどうなるだろうか?
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