「楽しみは・・・」世界でここだけの授業
2022-04-16
「楽しみは」で始まる短歌を即興で作る短歌とともにコメントを発表する
こちらから諸々と短歌を評する語り合い
新入生支援教員となると「大学教育入門セミナー」という基礎教育科目の担当者となる。人文系・理系・芸術保健体育系と3グループごとに主にアカデミックライティング(論理的文章の書き方)を中心に学ぶことになっている。とはいえ講義内容はその年の担当者3名が各専門分野も活かしながら、3者の化学反応で作り上げていくようなところがある。いつからか「講義(授業)」というのは「いつでもどこでも誰がやっても同じ」というような「コンビニ弁当」のような簡単便利なものが良しとされるようになった。記憶では「シラバス」というものの意義を勘違いして、「機械的に授業内容を揃えよ」と解した「授業の本質を知らない」人々が横行したからであると個人的には思っている。もしシラバスの思想がこの勘違い通りだとすると、学生は大学の場所も先生も選ばなくてよく「いつでもどこでも誰の授業でも」受ければよいということになる。もちろん小中高に学習指導要領が示されるのは、公教育で一定の公平性が示されるからではあるが、されども「いつでもどこでも誰の授業でも」という訳ではない。「授業」というのは、その教室に集まった担当者と学生らが「世界でそこにしか生じない対話」をすることだ、という信念を僕は持っている。
ゆえに、人文系「国語・社会・英語」の3教員がこの担当講義を作る上において、どんな化学反応が生まれるかが大変に楽しみである。そこで初回は学生らの自己紹介的な意味合いを込めて、3教員が各専攻の学生を混在させ3班に分けたグループを巡り、25分ずつのワークをするといういわば「ラウンドテーブル&ワールドカフェ」方式の展開を提案した。人文系の学生がお互いを知れることになると同時に、各教員の「世界でここだけ」に触れることができる。僕は「楽しみは」で始まる即興短歌を3分間で作ってもらい、それを発表しコメントや言い訳をするという「お遊び」の展開を用意した。学生たちは抵抗なく3分で全員が短歌を作り、それぞれの嗜好や家族への思いなどを歌に込めて発表してくれた。「教室」ではなかなか各自の素の生活感は出にくいものだが、この方法はすぐにそれを許容する。短歌がいかに日常生活の一面を表現するものであるか、まさに近現代短歌の「現在」がここに表現される。世界でここにしかない「37首の楽しみは」が楽しく会話も弾み教室を彩った。
短歌パッケージの素晴らしさ
ことばを大切にする感性も垣間見える
宮崎にて人文系を支える我が学部の「日本文学・歴史・英文学」の化学反応。
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