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『ぼく』ーこえでうけとめるしのふかいやみ

2022-04-15
『ぼく』作:谷川俊太郎・絵:合田里美
制作過程のドキュメンタリーも観て
ゼミにて声でうけとめる活動を敢えて初回に

講義開始の週も後半、今年度は木曜日の最終コマにゼミを設定した。昨年度来毎度、図書館の広めの一室に集まり換気をして感染対策を十分にとっての実施となる。今回は新たな3年生6名を加え、新鮮なメンバーでの初ゼミであった。あれこれ自己紹介という手もあるが、ここは何らかの活動をすべきと先月から考えていた。「自己紹介」はそれはそれで意義はあるだろうが、「目的」が「目的化」してしまい面白くないことが少なくない。いわば、当たり障りのないことしか言いわずに空虚な時間になるのが好きではない。ここはゼミの一つの大きなテーマ「声(音読)」を通した活動を実践したいと思い、選んだ題材が冒頭に記した『ぼく』という絵本である。同書は詩人・谷川俊太郎さんがコロナ禍中に編集者を介して絵本作家の合田さんと、精魂を傾け合った対話の末に完成した絵本である。そのことばの重みとともに、絵と溶け合うような鮮烈な印象を読む者に与える。『ぼく』というひらがながきの一人称が、何とも孤独な社会に生きる「ぼく」を既によく表現している。「僕」というように漢字によって小欄で”僕”もよく使用するのだが、この日本語の一人称代名詞について、こんなにも考えさせられるというのはまさに詩人の力であろう。そしてなによりこの『ぼく』という作品は、まだ小学生とも思える登場人物が「自死」を選んだという問題作でもある。

コロナ禍中において増加する「自死」、宮崎県も幸福度は全国ランクで高いという調査結果がありながら、「自死」の率も高いという矛盾を孕んだ現実を抱えている。しかし教育現場をはじめとして、この問題に正面から向き合うことそのものにも勇気がいる課題だ。今回も「果たして大学生にも?」などとこの活動の実施について熟慮した上で「ゼミ生」ということで踏み切ったところがある。僕自身、これまでの人生で「兄貴分」とも慕っていた二人もがそのような状況でこの世を去った。その際に最期に会った際のことは双方とも鮮明に覚えており、ともに「自分はこんなに進歩したことができるようになった」という趣旨のことを語ってしまった。もしあの時に「こんな苦しいこともある」という趣旨のことを話せていたら、「兄貴分」たちも僕に自分の「苦悩」を話してくれて楽になったかもしれないという激しい悔恨の情を持っている。教育現場の教材でいうと、漱石の『こころ』が登場人物「Kの自死」を扱う小説であるのはよく知られている。だがどこか明治時代の思想的な背景に紛れ込ませて、正面から「自死」に向き合う授業を実践するのは難しい場合が多いように思う。漱石の小説が描く「近代的自我」の問題を含めて、我々はこの近現代という歴史の中に呑み込まれて、いかに「ぼく」を失っているのか。「死」を扱う教材の難しさ、されど「死」を考えない限り「生」は考えられず。反転して無差別殺傷という暴挙が社会のあちこちに浮上するのも、この問題と表裏で直結している。「正か負か?」などとバラエティー番組風な単純二項対立の図式でしか考えられない頭を廃し、「死を考えることは生を考えること」という真実の中に、多くの人々がこの絵本から学ぶべきだろう。ゼミ生たちはきっと「自らのかけがえのない生」を考えて図書館を後にしたように思う。

谷川俊太郎のこれ以上ない素朴であり真実のことば
絵の登場人物が描く「いきる」こと
「生きるということ いま生きているということ」(谷川俊太郎)


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