ノーベル文学賞川端康成没後50年に寄せて
2022-04-14
4月16日は川端康成没後50年宮崎を舞台とする『たまゆら』に登場する牧水歌
『雪国』『伊豆の踊り子』と土地の「あくがれ」も考えて
作家・多胡吉郎氏が今年2月に上梓された『生命(いのち)の谺(こだま) 川端康成と『特攻』」(現代書館2022/2/20)出版を記念した一連の行事が宮崎と鹿児島で開催される。先月来、懇意にする方の仲介もあって、この行事の中で多胡氏とトークセッションをというお話をいただいた。もとより近現代文学は専門ではなく川端について十分な見解も持てないだろうと思ったが、「宮崎」をキーワードに牧水との接続点を探ることならできそうだと考えて、お引き受けすることにした。先月に宮崎日日新聞出版文化賞をいただいた『宮崎文学の旅 上下」の下巻近現代文学編にも、川端が朝の連続テレビ小説として書いたものを創作し直した『たまゆら』という作品を掲載している。宮崎を舞台に退職して間もない直木老人が、新婚旅行に来た若い夫婦に出逢うという内容がある。その一節に牧水の「ふるさとの尾鈴の山のかなしさよ秋もかすみのたなびきて居り」が引用されている。宮崎の地に直木老人は何を感じ取ったのか?この原作執筆のために川端康成は宮崎観光ホテルに滞在していたことは有名で、現在も同ホテル西館メモリアルルームとして当時川端が滞在した和室が保存されている。宮崎の夕陽の美しさに魅せられて、当初は鹿児島・熊本・長崎と巡るはずだったものを同ホテルに16泊し心酔したというのは、景色のみならず神話や牧水の宮崎の文学であったとも考えたくなる。
この日はトークセッションの打ち合わせということで、多胡氏が企画した会社の社長さんともども僕の研究室に来訪いただいた。前述したような牧水と川端の接点についてお話しして、自ずと会話が弾み「生命・ことば・自然」などの共有できるキーワードが発見できた。川端は「命」と「生命」をこだわりを持って書き分けていたと云う。また、晩年に静岡は沼津に住んでいた牧水が伊豆に滞在し第十四歌集『山桜の歌』のモチーフとなる歌を作るに至っている。伊豆という場所の不思議な魅力は、もちろん川端の『伊豆の踊り子』にも存分に表現されている。また牧水が故郷の日向市東郷町坪谷の渓谷と似通っていることから慕った「みなかみ町」についても、考えてみれば川端の名作『雪国』の「国境の長いトンネル」のある場所である。探ってみるに牧水と川端の接点を実に多く自覚させられる打ち合わせとなった。当日は多胡氏のお話の後に僕が20分程度の講話をして、その後、来場者も交えて和やかに川端や牧水や宮崎を語る時間となるようだ。もし僕たちが、明治に発する「近現代」というものの肥大化・形式化などに無自覚であるのなら、戦前戦後を跨いで活躍しノーベル文学賞受賞という栄誉が刻まれた川端作品をもう一度読み直し、実はまったく整理され回収されていない「昭和」というのを今こそ再考すべきなのかもしれない。
文学から僕らが引き継ぐべきもの
戦後77年そして川端康成没後50年
この何年かで起きたことは「昭和」に予見できたことなのかもしれない。
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