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僕が皆勤を貫く理由ー学校が楽しいこと

2022-04-12
いち早く学校に行きたい気持ち
教師になってからもいつもそれを貫いている
人々が集えることの幸せ

新年度の授業開始日、教壇に立ってみていささかの違和感を覚えたのは僕だけだろうか。ここ2年間は授業開始日には、間違いなくオンライン講義を実施していた。様々な地域から集まって来る学生に対しての感染対策が施されたというわけである。2年が経過し例えば宮崎県内の感染状況も先週に過去最多を記録するなど「終息」には程遠い状況であるが、今年度は文科省のお達しもあって極力対面講義というのが原則になった。朝方、知人である国立大学法人教員がTwitterで「授業開始」について呟いていたので、早々に同感同様な状況であることを返信したりもした。全国でも同様の状況で授業が始まっているらしい。人間の感覚というのは、どういうものなのだろう?対面講義もしていなかったわけではないのに、初回というだけでこの違和感。ある意味で授業構想や戦略がオンライン込みになっている自分を発見したりもする。ともかく学生らとは生で教室で対面できる喜びはあるが、オンラインで得られた効用は失わずにいたい。ステージは先に進み、ハイブリッドやハイフレックスと呼ばれるオンラインと融合したスタイルが、今後は活かされるべき道ではないかと思う。

先週末からの体調の問題もあって、本来ならば休養を取るべき日であったかもしれない。母には特に、そんな心配をかけている。だがどうやら安静にしているべき問題ではないことが判り、どうしても授業初日はこなしたいという思いが優先する。これは幼稚園や小学校の頃からの僕の習慣で、安易に「学校」を休むことはしない。さすがに「おたふく風邪」などの感染症で小学校は休んだ覚えがあるが、中高一貫校では「6ヵ年皆勤賞」というのを貰った。もちろん大学で学ぶこと、いや友人や先生らと語り合うことは無上の楽しみだった。また教員になってからも、ほとんど休んだ記憶はない。正直なところ人間関係の問題で嫌だと思ったことがないわけではないが、「生徒に会える授業する」と考えると「学校に行きたい」という思いが断然に優位になる。これは大学教員になってもまったく変わらない。3月からいささか諸々の仕事が過重だと思いつつ、「学生に会える講義する」時間はまったく苦痛ではない。コロナ禍の2年間を越えてまた入学してきた1年生たち、まだ大学の講義たるやどのようなものであるかもわからない表情をマスク上の目ん玉のみで教壇から受け取る。この貴重な時間のためにも、日々の心身を健康に保つ必要性をあらためて噛み締めている。

学校がライブで動き出す楽しみ
人の心と心が交流してこそ「學」の文字に適う
自らの身体の声も聴きつつ、学生たちの海の声を聞く教室。


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