試験対策ではなく人間を磨こう
2022-04-08
採用試験は「対策」だけで乗り切れるのか?「(自分を)この県の学校の教壇に立たせたい」と思ってもらうには
試験に通ればよいというわけではなく・・・
新入生2日間に続きこの日から在学生オリエンテーション、時間枠の中に研究室ゼミ指導教員との面談時間が設定してある。時間になるとあらかじめ順番を決めておいてもらった4年生5名が、順番に研究室にやって来た。面談内容としては、採用試験や大学院入試への勉強の進捗状況や卒論テーマへ自分なりのアプローチを進めているかというところである。自ずとこちらも「試験対策は進んでいるか?」と「対策」という言葉を使って問うことになるが、どうもこの「対策」のみをしているという考え方に違和感を覚える。それは日本及び韓国や中国など、東アジア諸国にその傾向が顕著であるようだが、「受験対策」として試験を突破するためだけに執心する傾向である。中学校受験のために小学生の頃から塾通い、場合によると小学校受験のために幼稚園・保育園の時から「受験対策」に我が子を向き合わせる親も都会を中心に少なくない。かくいう僕も東京育ちで、通う幼稚園にて確か国立大学附属小学校受験の「対策講座」を受けた記憶がある。だがその当時から、意味の分からぬ「対策」に大きな違和感を覚えていたと記憶する。人間的な心を育てることを園の方針としていながら、保護者の要求なのか「受験対策」があったことにどこか本能的に矛盾を覚えたのだろう。
「対策」はあくまで「試験を突破する」ことのみが視野にあり、「その先の未来」への展望がない場合が多い。発達段階からしても「なぜその小学校に?なぜその中学校に行きたいのか?」という明確な本人の意志が十分に確立しているとは言い難い。せいぜい「高校受験」ぐらいになれば自らの「意志」が確立するであろう。となると小学校・中学校受験の場合は、多くが本人というより「親の意志」という場合がほとんどではないかと思う。その狭間で僕自身も「自分とは何か?」という人間としての疑問を持ちつつ歩み、大学受験でようやく「自己のどうしても歩みたい道」に踏み出せたというのが正直なところである。話は迂遠したのだが端的にいうと、教員養成学部は「教員採用試験予備校」では決してないという信念が深く僕の中に根付く。反転して述べるならば「採用試験対策」のみでは「合格」も覚束ないはずである、と考えている。筆記試験である「一次」へ向けて「対策」も必要であるが、何より「教員として人間的に成長する」ことが面接などがある「二次試験」に向けて不可欠な条件であると4年生には説いている。では「人間として成長する」ためにはどうしたらよいか?それは多様な体験をすることに尽きる、近隣の学校でのボランティア活動(読み聞かせなど)や、学部間異分野融合のチャレンジプログラムなどへの応募などに今年度の4年生は挑戦している。その体験があってこそ採用試験の面接で「自分しか語れないこと」を堂々と表面することができる。自己PR文にある「誰でも書ける空虚な建前」では、面接官や採用者の心に響かないのは自明の理であろう。
教員として豊かに「自分」を確立する
体験に学び多様な人々と心を交わす
本日は新しく研究室に来る3年生との面談が楽しみである。
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