教科別説明「国語」覚書
2022-04-06
新入生オリエンテーションに支援教員として小学校主免とする新入生に専攻教科の説明機会
3分で講座専攻の内容・特徴をいかに語ったかの覚書
ご入学おめでとうございます。みなさんの「国語」という教科の印象は何ですか?無理矢理覚えさせられた古典文法の活用表、評論文の段落分け、それとも小学校からやむなく書いた読書感想文でしょうか。毎年、1年生の講義で学生と対話すると、こんな内容が「国語が嫌いで苦手なところ」という結果になります。しかし「国語」という教科は、「ことばとそのことばが織り成す文学に向き合う教科」です。「ことば」は見えない「人の心」に「形」を与えてくれるもの、いわば「ことば」とは「人の心」そのもので「命」と言ってよい、「国語」は「心」を考える教科と言ってもよいでしょう。いま世界の誰しもが「平和」を考えねばならない世の中になってしまいました。それでは「国語教育講座」ではどう考えるか?私なりのアプローチをしていきましょう。
「水のへに到りえし手をうち重ねいづれが先に死にし母と子」(竹山広)
これは長崎で自身も被爆経験のある竹山広という歌人の短歌です。「水辺にやっとのこと到ったその二つの手が重なるようにしてどちらが先ということもなく死んでしまっていた母と子」を刻銘なことばで描写した歌です。むしろ自身の感情は何も言わないが、ことばにより悲惨で壮絶な光景を三十一文字で描写している。これこそが「ことばの力」なのです。こうした失われた小さな手に焦点がある歌もあれば、次のような歌もあります。
「おそらくは今も宇宙を走りゆく二つの光 水ヲ下サイ」(岩井謙一)
人類史上にも忘れられるべきではない広島・長崎の「二つの光」は、77年経過した今も「宇宙を走りゆく」という大きなスケールの想像をことばに託しています。こうしたことばによる鮮烈な描写力、これを読み取る力をつけることこそが、「人の心の真実」に向き合うことでもあります。今、あなた方が持っているスマホの中にも「フェイク(偽造・模造)」がたくさんある、それを見極めるには繊細に「ことば」に向き合う必要がある。そんな志のある人は、ぜひ「国語教育講座」でお待ちしています。最後にもう一首。
「With Corona 夏の予定も見えぬまま今は滅びし星を見ている」(中村佳文)
この時代をともに「国語」を学ぶことで生き抜きましょう。
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