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新しい未来をさがす邂逅

2022-04-02
「おもひやるかのうす青き峡のおくにわれの生まれし朝のさびしさ」(牧水)
生まれた時の自己存在を見つめて孤独を覚え
ゆえに生きるとはどれほど多くの人々とつながれるかだろう

新年度を迎えた。先月に卒業したばかりの卒業生が、新任教員として就任式に臨んでいる姿を想像した。思いが募りLINEメッセージなどをしてみたが、「何をしたらよいかわからなかったです」とか「何かやっているフリをしていました」などの返信があった。実に初々しく僕が学部卒で非常勤講師となった頃の気持ちを思い出した。人は過ぎ去った年齢に帰ることはできないが、「あの頃」の年齢の人とつながることで、今一度その気持ちには帰ることができる。さらにそれを実感するために、こうして文を綴ることもできるし短歌を作るとか脚本を演じることもできる。ただただ流れのままに生きるのではなくことばを刻んでおきたい、小欄もそんな思いで4500回更新を迎えている。もはや「ブログ」などというツールは流行ではないかもしれないが、朝この文を綴ること自体が生きることである。人間は記憶の動物、過去をすぐに何ら関係のないものにすることはできない。だが同時に忘却の動物でもあり、微妙な思いはことばにして保存しておかないと流れて無くなってしまう。歩きながら「いい歌ができた!」と三十一文字を思い浮かべたとしても、メモできる段階になって「どこか違う!」となることもある。ゆえにことばに刻み声に出すことが大切となる。

冒頭に記したのは牧水が自らの故郷を思い、「われの生まれし朝」を想像した時に「さみしさ」を覚え詠んだ歌である。故郷宮崎を離れ医師である親を継がなかった後ろめたさを抱えつつも、文学の志を叶えるべく東京で奮闘し、恋にも酒にも溺れる自分の存在を見つめ短歌に込めて詠い続けた。「われの生まれし朝」は自分の原点であり故郷であり親への思いという、全存在としてこの世を歩み出した朝だ。牧水の歌が自然と親和性があるのも、こうしていつも故郷宮崎の自然(かの峡のおく)を意識しているからだろう。志というのは、どこかで自らの郷愁やそれに伴う親への思いに連なっているようにも思う。それゆえに故郷・親・母校を大切にすべきであり、いつも意識してつながり自らの存在確認をすべきだと思う。昨日から宮崎に赴任して10年目が始まった。丸9年間でつながってきたものと、またそれ以前からつながってきた人々、さらに故郷・親・母校などを意識して、新たな未来を探そうかと思っている。そんな自己確認を新たにする時間が必要なのだろう。

ことばを刻みつづけ声をあげつづける
自らの志を今一度見つめ直す
さらに多くの人々との邂逅を求めてあくがれて行く


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