義理を超える君のふるさと
2022-03-27
「義理」を辞書で引くと諸々の意味が大河ドラマを観ていても「忠義」の関係などが
だがそんな語義など超える君のふるさと
日本社会を考える際に、「義理」は欠くべからざる用語であろう。手元の『日本国語大辞典第二版』によれば、(1)物事の正しい道筋。(2)職業、階層、親子、主従、子弟などのさまざまな対人関係、交際関係で、人が他に対して立場上務めなければならないと意識されたこと。体面。面目。(3)つきあいや社交の場で述べる口上や挨拶。(4)特に世間的なつきあいの上で、仕方なしにする行為。(5)血縁以外の者が血縁と同じ関係を結ぶこと。(6)わけ。意味。(7)(能で)劇としての筋、内容。(一部を割愛)などとある。用例の上では(6)あたりが古く、派生的に(1)あたりが展開し時代とともに(2)あたりが増えた印象を受ける。(あくまで個人的で恣意的な憶測なので語誌まで正確に調べた訳ではないことをお断りしておく)それにしても(2)に「務めねばならない」とか(4)「仕方なしに」などの表現が伴い、現代の「義理チョコ」に通じる趣旨を感じさせる。だがしかし、本来は(1)のような語義であり、安易な関係性に使用すべきではないようにも思われてくる。
妻の実家を訪ねる機会が、いつも楽しみである。その街の風を感じると、宮崎の中でも特に穏やかな時間に身を任せられるような愉悦に浸れる。車で走りながら妻が幼少の頃の思い出を口にするたび、その様子を想像できて豊かな関係が深まったような気になる。育った場所を知ることは、その人の見えない年輪を見ることでもあり、日常の関係性に多くの補助線を引いてくれる。その理解の多寡は、見知らぬ二人が生活をともにする際に大変に影響が大きいように思う。もちろん街の風景のみならず、実家でいただく食事の数々にも大変に口が馴染む。僕は特に幼少時から、親戚の家でもなかなか出された食事が進まない傾向が顕著にあった。どうも他の家の味というのが正直、得意ではなかった。しかし、妻の実家は最初から違った。食事の美味しさが格別で、どんな料理でも口に合う物ばかりなのだ。もちろんそれは、風土と家庭とが実に見事に融合して自然体であるからではないかと思う。このような思いを抱くと、前述した「義理」という言葉を使用して説明できる場所ではないように思えてくる。今回もまた、君のふるさとで過ごす週末となる。
漁港に着く漁船を出迎える家族たち
この穏やかな風は何なのだろうか?
今朝もまた街を歩き蛙の声を聞きながらその秘密を短歌へとパッケージする。
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