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住む街の安全な遊歩道

2022-03-06
宵(酔い)闇にも安全な遊歩道
小学生の登下校通学路としても
母が歩ける街の環境として

住む街が安全である、いつでも何も気にすることなくそぞろ歩きができる。「平和」とはまず基本的にこうした環境下に住んでいるということだろう。市民が住む場所にミサイルや砲撃がくり返され、寒いであろう地下鉄の駅などのシェルターに避難せねばならないウクライナの人々の辛さを思う。祖国を捨てて隣国へと避難せねばならない無念、原発への攻撃など常軌を逸したロシア軍のあり方には、日々くり返すが非難の声を上げ続けたい。一方で自分が置かれている環境がなぜ「平和」であるかも考えていかねばなるまい。「平和はあるものでなく創るもの」という言葉の意味を噛み締めながらである。まずは住む街に「平和」があるか?その街が住みやすいか?ということから確認しておきたいものだ。休日ということで、暖かい日中に母と住む街の遊歩道を歩いた。寒さのせいもあって最近一日の歩行数が減少していた母は、歩くと体調が回復すると言う。押しボタン信号があり、遊歩道に入れば自動車は通れず、道ゆく見知らぬ人でも優しく挨拶をしてくれる。その先には拓けた景色が見える場所があり、僕にとって馴染みの犬が塀越しに顔を覗かせる。道路の横断にさえ気をつければ、母が一人でも安全に歩くことができる環境がありがたい。

此処は、市内から大学の移転に伴い「学園都市」として整備された街だ。この呼称が使用されるのは「筑波」とこの宮崎だけらしい。「都市」という言い方に当時は「未来・・」の趣旨も込められていたのだろう。先日、大学からの帰り道、前方7mぐらいを2人の学生が歩いていた。キャンパスの植え込みの土がやたらと掘り返されているのを僕も不審に思ったが、彼らもそれについて二人で談笑している。そのうち一人の学生が「ほら!」と声を上げるとその指差す先の闇の中に二頭の寸胴の四つ足の影が、声に恐れて薮の方面に歩む姿が見えた。まさしく春先となりイノシシの番いが出て来ていたのだ。古くからこのあたりを知る人に聞くと、丘陵地帯で畑ばかりだったと云う。イノシシは気の弱い動物で、驚かせると突進される危険性があると言われ「注意」が促されることもある。だが考えてみれば元々、此処はイノシシやサルたちが快適に住む場所ではなかったのか。ある意味で人間は、居住地を開拓するために「侵略」したとも考えられる。だがこれは「小学校(初等)国語科教育法」講義で全員で唄いウォーミングアップに使用していたのだが、「山に来た里に来た野にも来た」という童謡『春が来た』の歌詞は、「山=動物の生息域」「里=人間の生息域」「野=動物と人間の交流域」と解釈できる。イノシシが生息できる環境は、まさに「自然」が豊かな「野」であるということ。飛ぶ鳥たちの種類の豊富さなども目を引く環境なのだ。

空気が美味しい空が青い
動植物の声が聞こえる環境
何より世界が平和でありますように。


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