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幸福度ナンバーワンの宮崎県どうして・・・

2022-02-22
「どうして自ら死ぬ人いるの」」
劇中で短歌を詠んだ女性の思い
「罰のような苦痛刺激」の罪

今回のリーディング劇への参加は、僕にとって大きな刺激となり力となった。Web上ではよく「・・ロス」(あるべきものが終わったり無くなったりしたことを哀しむ)という言い方をするが、心は夕方になるとまた稽古に向かいたいようである。仲間たちと公演という一点に向けて走った1ヶ月・半年・8ヶ月が、あまりにも幸福で掛け替えのない時間であったからだ。そこでふと冷静になって考えてみると、これは宮崎であったからできたことだと実感する点も少なくない。一つにやはり、文学・文芸を嗜む人たちが多く身近にいるということ。公募文芸賞の多さやそれに関連した公演・講演・座談などが県内・市内で盛んに催されるのは大きな利点である。もちろん東京などでもその要素はあるのだろうが、あの過密さの中で明らかに薄まる。二つ目に、この人口密度があまりにも適切で人間らしい生き方を演出してくれている。それは感染数が、一定のところで留まることにも関連があろう。同時に稽古でも公演会場でもそれほど遠くなく、コンパクトな市内で実施できたことは、僕などが学期末業務と両立して今回の活動に参加できた大きな要素である。

本日の標題「幸福度ナンバーワンの宮崎県どうして」冒頭に記した「自ら死ぬ人いるの」を続けると、今回の劇中で登場人物の女性が詠む短歌となる。「幸福度」が様々な部門で高いのは、前述した要素に加えて、人々の親和性の高さがあるからだろう。穏やかに和やかに人と人とが争わない心豊かな県民性、たぶん都会で荒んでいた僕自身の心もそんな人々との出逢いによって宮崎への愛着がどんどん増したのだろう。だが「どうして・・・」という大きな問題を抱え込んでいるのも事実である。「心豊かに」とは言いながら、現実社会があまりにも厳しい事態であることにも眼を背けるわけにはいかない。この日は「教育学部プロジェクト研究報告会」が開催され、役職上司会進行役を務めた。それぞれの発表が興味深かったが、特に「学校全体を対象にした積極的行動支援」という研究報告ではハッと眼を覚まさせられた思いがした。学校で子どもたちに向かう際に「罰のような苦痛刺激を用いない」のが支援なのだと云う。指導者が「罰」を与えるのは根本的な問題解決にならず、むしろ「副作用」が大きいとも云う。考えてみれば指導者の与える「罰」とういのも広い視野で見れば、「いじめ」ともいえる言動になるだろう。調査によれば「罰」を与える指導者に向き合う子どもたちは「いじめ」を「いじめ」と認知する度合いが低いと云う。ゆえに「ポジティブな行動」を視野に支援すべきということだ。今なお「強制し抑えつける」ことが指導であり教育だと勘違いしている人たちがいるのも事実だろう。この学校支援の問題を短絡的に「自死」の問題につなげることは慎重であるべきだが、穏やかで和やかで緩やかな性質に「強制」的な圧を決してかけるべきではないだろう。あらためてこの宮崎を、文芸でより和やかに生きられる土地にして行くべく、僕は生きてゆきたいと思うのである。

仲間がいて仲間に会いたい思い
牧水を起点に短歌で心を発露する宮崎でありたい
「短歌県」の行く手に「幸福度ナンバーワン」を見据えながら。


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