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リーディング劇「牧水と恋」公演の幕が上がれり

2022-02-21
和服・股引き・脚絆・マント・西洋風ハットに杖や傘
「山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇を君」
牧水の朗詠を劇で演じて

いよいよ公演当日、前日も丸1日の会場設営やリハであったが朝の目覚めは爽快だ。この約1ヶ月間の稽古に参加してきて、ほぼほぼストレスがないことが大きな要因だろう。回を重ねるごとにスタッフ・キャストの仲間たちに早く会いたくなる心境、一つの創作表現をともに創る個々の思いが美しい結晶となって輝いているような思いである。「仕事」では得られることのできない言葉にならない連帯感、そして高揚感、舞台を創る経験のある者しか味わえない広大で豊かな浜辺に僕は立つことができた。今回は「リーディング劇」という形式で脚本を片手に持って語る、つまり「朗読」と「劇」の中間的な方法である。よく〈教室〉での学習活動として「朗読劇」を提案する際には、「朗読」と「劇」の差は何であるか?という理詰めな質問で責められたものだがこの両者が多様な次元で接近することができる実践がここにあった。若山牧水の恋を題材としたことも大きいのだが、幕が上がって出番を待つ舞台袖にも関わらず何度も涙腺が緩む「声」があった。それではまだ役者として未熟なのか?それとも脚本の世界に入り込んだということなのか?60分の公演で自らの出番となる場面が、いよいよ身体性を持って刻まれ濃密で無意識のような舞台上での感覚を持った。作為がない演技、これは落語の一席をお客さんを前に演じた際の恍惚に似ていた。

当初予定していた本学附属図書館での公演、「まん延防止」の発出により一気に「不可」となり劇団0Q主宰の前田晶子さんの尽力で早期に新たなこの公演会場に出逢えることができた。聞くところによるとこの新設高校には「演劇表現」のコースも設定されていて、いずれこうしたギャラリー公演を実施したいという意図を持った教室構造であるという実に幸運な出逢いだった。それにしても既に2年になるが、僕たち人と人とがつながる貴重な機会を失わせるコロナ禍。本公演にも本当は多くの学生たちに参加・観覧してもらい貴重な体験を積んでもらいたかったが参加者は限定的となった。しかし公演そのものは午前の回は満席(予約がなくお断りした方もいたという申し訳ない状況と聞く)、午後も9割方のご来場をいただき、少なくとも僕らの公演がコロナに勝った思いを抱かせた。日々重ねてきた稽古から公演に至るまで、どこかで感染のリスクと向き合わねばならない社会事情。チラシを郵送しお誘いした方々にも、「ご無理のなきように」と添え書きせざるを得なかった。それにも関わらず、伊藤一彦先生をはじめ短歌関係の多くの方々にご来場をいただいた。マスクはもとより一人ひとりが日々の衛星を心がけ健康管理をする、僕たちはそんな基礎基本の生き方を見直し、貴重な人と人とが交わる機会を失うべきではないという思いも新たにした。公演後の喩えようのない爽快感、僕の中で「短歌」と「声」の研究が多様な方々との交流で豊かに実践的に繋がり始めた貴重な機会であった。

牧水の立場になった哀しく危うい恋の経験を舞台で
研究者であり実践者でありたいという僕自身の信念
「短歌県みやざき」は幸福度ナンバーワンの要素に「演劇」とのコラボを見出した。


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