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家を継がなかった息子

2022-02-10
若山牧水は2代続く医者の家系を継がず
文学にうつつを抜かし女に溺れ酒浸りと酷評されたことも
人生において自分を活かすためには

この国では今でも医師や政治家に世襲が多いのは、なぜなのだろう?遺伝子とは、それほど信頼をおけるものなのだろうか?世襲を選択する人々のどれほどが、果たして主体的・意欲的にその道を目指しているのだろう?諸外国の事情を詳らかに調べたことはないが、世襲の問題が社会に与える影響も少なくないのではないだろうか。世襲を強要するがために生じる悲劇、それは当人にも然り、患者や国民・市民にも悪影響が出かねない。少なくともOECD(経済協力開発機構・38カ国の先進国が加盟)が実施するPISA調査によれば、日本の子どもたちは「勉強が楽しい」とか「将来への意欲」が大変に乏しいことが報告されている。これほど入試対策において学校も家庭も塾も躍起になってはいるが、本質的なキャリア教育が充実して為されているとは言い難い状況である。この日は県が主催し大学が協働するキャリア教育の企画に参加したが、「進学のみを見据えた指導」に偏りがちという県担当者の指摘は気になるところ。実情は中高で行われる「進路指導」がほぼほぼ「入試対策」であり、生涯を見据えて豊かに生きる自分を見つける面が充実しているとは言い難いのを再確認した。

冒頭に記したように、牧水は二代続いた医師の家に明治18年に生まれた。姉3人に続く長男、当時の社会的風潮からして周囲は当然がなら待望の医師を継ぐ息子と期待された。まずは男女がこれほどに差別視されていた時代、祖父は江戸時代生まれ長崎で医術を学んだ身でもあり父の頭には世襲の選択しかなかったはずだ。しかし、牧水は旧制延岡中学校時代に文学を愛する校長に出逢い、西行や香川景樹などの古典和歌を読むことを勧められ、文学を志し早稲田大学への進学を決意する。我々が想像する以上にこの牧水の決断には勇気が必要だっただろう。その後も父危篤の報を受けて帰郷した際など、親戚縁者に罵倒され東京に帰るに帰れず辛い日々を過ごしている。端的に言えば現在も僕が牧水のことをこうして話題にできるのは、牧水が「自らを活かす意欲的な道」を辛くとも選択したからだ。その親や故郷への思いもまた、牧水の短歌を結果的に磨いたことになるだろう。僕自身もまた、親の家業を継がなかった長男である。僕の場合は両親に理解があって幸せな時代を生きてきた訳だが、父などは微妙な思いを抱いたことがあったはずだ。とりわけ「教師」という進路についても商家であったせいで、両親ともに否定的に思う道とはっきり聞かされていた。もちろん牧水ほどに苦悩の選択ではなかったのだが、早稲田大学に進んだ時点で家業は継がず「文学を選択した」という意味では大学も生きる上でも牧水の後輩である。ゆえに今は自らを活かすがために、こうして短歌に向き合っていることに妥協があってはならないのだと思う。

自らが楽しくやりたい道が選べる社会
やらされることが多い日本社会において
「キャリア教育」の上でも、牧水の短歌はまだまだ奥深く読めるような気がしている。


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