花と人ー運命としての共生関係
2022-02-07
立春を過ぎてもなお寒波に凍え花や実は新たな展開をみせている
「ひさかたの光のどけき春の日」を待ちつつ
自宅玄関先に、今年は例年より多く紅く鮮やかな実がなった「マンリョウ」がある。昨年はある冬の日に、鳥たちに急襲されほぼ1日2日にして食べられてしまった。現場を目撃した訳ではないが、門扉周辺に糞が複数見られマンリョウのあたりにも同様に糞が散見された。ウォーキングなどから帰宅した際に、門扉の上から獲物の偵察をしている鳥影を見たこともある。今年の場合、年末から妻がネットを購入しマンリョウ全体に被せて防御する対抗策を講じていた。年末年始を終えて寒の入り、どうやらそのネットが功を奏したのかとばかり思っていた。ネットとはいえ100均で販売の代物、繊細な網目であるわけではないので異物が被せてあることに鳥は近づかないのかと安易に考えていた。ところが先週4日の立春を知っているのだろうか?網の目を超えて端から一枝ごとにお行儀よくマンリョウが食べられ始めた。僕の家の門扉に飛来する前には、向かいの家の樹木の上からこちらの様子をよく観察しているようだ。それにしても暦を知っているかのような鳥たちの自然との共生関係には、いささかの驚きと共感を持って受け止めた。
今月1日より既にプロ野球5球団の春季キャンプが始まっているが、今年は寒波の影響か宮崎にしては凍てつく日々が続いている。北陸から東北・北海道の記録的な積雪の報を見るに贅沢は言えないが、やはり寒さは人の身体の調子を狂わせるのだろう。節々は硬直し血液循環が悪くなり、よって行動が少なくなり筋肉も萎縮する。それでも立春の日から感じるのは、明るさを増した「春の日」である。樹木はこの日射量を目安に、芽吹き開花の時期を悟っているらしい。たぶん人間の作った暦そのものが後発的な猿知恵で、自然はすべて自らのリズムを持ちながら季節の循環を展開して来たのであろう。短歌会誌『心の花』連載・森朝男さん「古歌を慕う」2月号「和歌的自然」の記述には注目した。『万葉集』の古歌から「花と人(の心)が連繋関係にある。表現技法的には〈比喩〉に当たるものだが、言語上の技法というよりもっと根底的」であるというのだ。そこには、「この地上に生きるものどうしの、運命としての共生関係、その関係において交わされる相互の霊的感応(呼応)、あるいはその記憶にも根差すものではないか。」としている。ここでは「花と人」を題材としているが、当然ながらより「花」に近い範疇に「鳥」もいるわけだ。そんな古歌に由来する論の「共生関係」「霊的感応」を、僕は玄関で目の当たりにできた。暦どころか「網を張る」という「猿知恵」をやや恥ずかしく思う立春後の寒さである。
自然との共生
それは牧水が古歌から近現代短歌に繋いだリレーのバトン
寒さの中でも怯まずマンリョウの身を食む鳥たちが逞しい。
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