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見過ごしていたものを取り戻す

2022-02-01
「見えていたはずなのに素通りしたもの、
 それを今、私たちは取り戻さなければならない。」
(若松英輔『弱さのちから』亜紀書房2020より)

新型コロナ感染拡大に翻弄されながら早2年、私たちは何を失い何を得てきたのだろう?言い換えるならば、何を恐れて何を見つけたのだろう?危機に瀕してこそ人は、「死」を自覚し「命」の大切さを知る。また「孤」を意識するゆえに「愛」の尊さを悟る。冒頭に記した若松の著書からは、具体的な偉人の言葉を引きつつ具体的にこのようなことを学ぶことができる。引用した言葉のように、本来は見えていたものを見過ごしており、それを取り戻す「好機」と今を捉えることができる。人間は「学習する動物」である。失敗をすれば「なぜ?」と考えて同じ失敗をくり返さないように歩む。だがいつしか「苦痛を忘れてしまう動物」でもある。特に「安全」と思われる領域を確保すると、その場所でその方法で楽して生きようとしてしまう。慣れていてくり返せばよいことに安住すると、さらに考え方は麻痺して自らが淀み汚れて濁ることが自覚できなくなる。すると多くのものを見過ごしてしまい、「素通り」をしてしまう訳である。

よく「24時間後に地球が滅亡するなら何を食べたいか?」という問いがある。「生命」の危機を覚えた際に、どんな欲望を叶えるのか?新型コロナは私たちに「死が特別なことではない」ことを教えてくれた。親しまれていた芸人である志村けんさんが亡くなって、それが日本社会全体を覆った。だが元来が「命」というのはそういうもので、誰しも例外なく「死までの時間」を生きていることになる。その恐怖に怯え苦しむ「弱さ」こそが、人類の永遠のテーマなのだと若松の著書は教えてくれる。社会を脅かす凶行は多くの人が安住した末に「淀み汚れ濁る」ものを見過ごしてきた歪みが、個々の事情を際立たせ忍耐が飽和した個人の上に噴出するかのようなことと言えるのだろうか?このような意味で、この2年間に向き合って来た新たな考え方は貴重なものである。自らの「麻痺」や「淀み汚れ濁り」を自覚して、自らを可能な限り表現することで自らの「命」がいかなるものかを悟る。仕事上の忙しさを顧みず自著を出版した意味もそこにある。トンネルからなかなか出ることができない闇の中で、僕は可能な限りの表現を続けるしか道はないのだ。

2月宮崎には球春が訪れる
寒さとともに感染の波を見据えながら
自らの身体が淀まぬように僕はまた聲を出す。


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