金銭からの自由
2010-12-19
18日(土)この年末に一番楽しみにしていた忘年会があった。今年1年は、この趣旨に賛同した方々の新年会が1月に実施され、7月に大きな達成があり、そして1年を締め括るこの日の忘年会があった。職場や自分が専門とする分野の人々というわけでもなく、一人の人を支援する人間たちの輪。その仲間たちとの出会いから学び、救われてきたことは、この1年の大きな心の糧になっていた。そんなことを改めて感じる、まさに真の意味の忘年会であった。その人々の輪の中で、特に親しくなった若い編集者がいる。この日も宴会の後半から二次会にかけて、様々な話をした。彼は、仕事の合間に原稿を書き、単行本を何冊も出して、それなりの人気も博していた。新年会で会った時から、実に才能のある若手ライターであると思っていた。しかし、彼を災難が襲った。勤務する会社に単行本を出していることが知られ、「職務規程違反」だと警告され、退職してフリーになるか、副業を諦めるかという選択を迫られたのだ。結果、彼はとりあえず、生活を守ることを選択したそうだ。
休日などの自由な時間を使い、自己の才能を存分に羽ばたかせて何が悪いのだろうか?世間では、多くの人が金銭を得て生活を守るのと並行して、何らかの才能を発揮する場を求めて、自由自在な創作活動などを行っている。実際、作家などの多くが、若い時代は貧乏生活に苦しみながら、その枯渇感を糧にして秀作を産み出してきている。「生業」と「ライフワーク」が合致している人ほどの幸せはないだろう。だが、多くの人々が、何らかの生業で生活を確保しながら、傍らで「ライフワーク」を追いかける。生業の職務内容が重くなってくれば、次第に才能を羽ばたかせる時間が失われる。そして、自己の才能を開花させずに終わってしまう場合も少なくはないだろう。しかし、そのようなケースは、社会全体にとっての喪失といってもよい。
「同僚や部下が社会的に評価されることを誇りに思えない狭量。「会社の規則を守れないなら退職せよ」との判断は、形式的にはもっともそうでありながら、前近代的だ。人間の能力を賃金の鋳型に押し込み、閉じこめることは、本質的に封建的である。」
この日の忘年会主催者は、彼の事態をこのような文章として活字にしている。
昔から「二足のわらじ」という言葉がある。語感として、異種の才能を開花させようとして努力する、前向きな意味合いだと個人的に感じていた。辞書にも「普通の人なら両立出来ないような二つの職業を、一人の人が持つこと。」(『新明解国語辞典』三省堂)とある。その「普通の人」であることを会社が強要し、「賃金の鋳型に押し込」むのは、誠に旧態依然とした閉鎖的な発想に他ならない。「内部の仕事に集中しろ」というような発言は、正論に見えるが、本来言わずもがなのことであり、才能を外部で開花させるレベルの人間であれば、会社の期待以上の集中度を持って仕事はこなしているはずである。いや、それ以上に外部で才能を磨くことが、会社組織の為にも新風を吹き込み、活性化させ新陳代謝を促進するような効果をもたらすということに、気付いていない狭量なのである。
「会社を利用しているのか」
小生も、友人となった編集者同様、こんな醜い発言を真っ向から受けた。これは実際に言われた者ではないとわからないほどの、深い傷となって心の片隅に巣くってしまう。しかし、そんな蛮行が、様々な会社組織で行われているとすれば、日本社会全体の閉塞状況は、一層加速する。ゆえに、このような愚行に決して屈せず、「ライフワーク」だと信じる道で、己の才能を開花し、いつしか先方の心の中に静かに浸透し、爆発する言葉を贈りつけたいものだ。
己の人生を客観的に測定する、心温まる忘年会。そして主催者とともに、また志同じくする仲間たちとの、最高の二次会であった。
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