短歌を通して東アジアの言語文化に生きる
2022-01-29
俵万智「ファイティン!」(『短歌研究1月号』30首連作)韓国ドラマに取材した作品をどう読むか?
韓国語の先生との言語を通した交流から
九州に住むということは、日本列島の中でもより東アジアに接近したということである。宮崎に赴任した際に、こんな感覚を持った。本学に学びに来るのは韓国・台湾の留学生が多く、宮崎空港からはこの二国への直行便が運行している。これまでに3度は「日本事情」という留学生向きの講義をオムニバス担当(半期15回のうち3回)したことがあり、中国や他のアジア、さらに欧米諸国の留学生ともども楽しく短歌を作ってもらった経験もある。元来が「和漢比較文学」分野を専攻としているので、日本語と大陸由来の言語文化との交流には大変に興味があった。高校3年生で出逢った英語学の著名な先生から教えていただいたのは、「言語・文化は比較し相対化しないと真の理解などできない」ということだ。東アジアの大陸との交渉なくして、日本語・日本文学の興隆はあり得なかった訳である。「令和」元号の典拠となった大伴旅人「梅花宴32首」の序文である漢文も、大陸由来の文体を見本に書かれたものだ。太宰府は大陸への玄関口、その場所でこそ旅人は大陸の人々が何をどう考えていたか?を肌で感じ取った上で、都からは離れてしまった自らの感慨を漢文や和歌表現に込めたのである。
冒頭の俵万智新作が気になっていた。僕自身は韓国ドラマを観る機会は少ないが、この作品によって大いに唆られている。30首連作からは、韓国ドラマをくり返し観て得られた鋭敏な言語感覚を読み取ることができる。果たして韓国語ネイティブはどのように読むのだろう?と気になり、新年になって二つ隣の研究室である韓国語の先生に作品を手渡して感想をいただきたいと依頼していた。日韓英比較言語学を専門領域とする先生であると知っていたので、どう読み解かれるかは大変に興味深かった。そしてメールで返信をいただいた結果、この日は約90分にわたり30首批評読書会を二人で実施することができた。韓国語の先生は、短歌をほとんど読んだことがないと云う。また自国のドラマもあまり観る方ではないと云うのだが、それだけに素で言語学者がどう受け止めるかという利点があると思った。思った通り「短歌連作」をそれ自体が「ドラマのような展開」と受け止め、短歌の随所に読める韓国語の捉え方が大変に精緻な感覚がある方だと評していた。1首ごとにお互いがどう読めたか?をくり返し対話していくうちに、比較言語的な話題が自然と展開した。韓国語を知らなくとも俵作品は十分に短歌として秀逸であるが、日本語を習得・研究している韓国語話者がより楽しく読めるというのは、俵作の懐の深さであることの証であった。
日本語にない音韻をカタカナ表記すると?
酒・パック・OSTなど日韓文化の微妙な差異を意識するのが楽しい
僕たちは東アジアに生きている、友としてまずは個々人が親しく交流することだ。
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