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怒りより弱さに学ぼう

2022-01-27
「『弱い人』の眼に映る世界、
 それに言葉の姿を与えてきたのが、
 哲学や文学の歴史にほかならない。」(若松英輔『弱さのちから』P30より)

夏目漱石が「癇癪持ち」であったのは、比較的有名な話だ。日本の近現代小説のあるべき姿を開拓した文豪や、以前の千円札のイメージからすると意外に思われる方もいるかもしれない。家族は漱石が癇癪を起こすたびに、大変に苦労したというのをどこかで読んだ記憶がある。小説ではあれほどリアルに人間の自我・葛藤・苦悩を描き切った漱石であったが、「癇癪(かんしゃく)=ちょっとしたことでも激怒しやすい性格(『日本国語大辞典第二版』)」は、冷静な筆運びの反動でもあったのだろうか?諺に「癇癪持ちの事破り」「後で気の付く癇癪持ち」などがあるように「怒りっぽい人は物事をぶち壊し成功しない」とか「怒りっぽい人は、後に自分の非に気付き後悔が多い」など、人として損をする性格であると長年言い伝えられているわけである。僕なども幼少の頃から父が怒るのは嫌な気分であったが、家族に一定の緊張感をもたらす効もなくはなかったと振り返る。それにしても怒れば血圧が上がり、多分に自らも嫌な気分になっているのは間違いない。

社会の理不尽、特にここのところの入試に関する報道などを耳にすると自然と怒りが込み上げてしまう。長年の中高教員としての経験、そこで出会った生徒たちに「入試」へと人生に意義あるように立ち向かわせてきた立場からして、ある意味で怒って当然と思うこともある。だがしかし、怒りからは何も生まれて来ない、食卓で怒っても妻に迷惑をかけるだけだ。コロナ禍にあって対面機会が減り、メールやオンラインでの無機質な関係しか持たないと、知らぬ間に先入観がカビのように発生し無用な怒りなどが心の内で渦巻いてしまう。それも対面して爽やかに挨拶を交わせば数秒で解消することも知っている。歴史を見ても戦国大名で最後に勝利を手にした徳川家康は、「怒らなかったから勝てた」ようにも思う。冒頭に引用した若松英輔の著書を読み始めた。若松は云う「『弱い人』たちにもっと学んでよい。」と。「弱さ」から学ばず自己を制御できずに怒る者には、自滅の道しか用意されていないことは歴史の上で明らかだ。向上心も向学心も、いや高い偏差値を目指すのも、ある意味で尊いのかもしれない。だが「弱さ」も知らずに何が「向上」「向学」であり、「偏差値の高い大学に入学した」意味があるのだろう。漱石はもしかすると、徹底的に自己の弱さに向き合ったのかもしれない。それに耐え難いゆえの「癇癪持ち」であったのか?否、いずれにしても「怒りは自らを破壊する」のは間違いないだろう。

文学を読み「弱さ」から学ぶこと
「弱さ」にこそ向き合い文学として表現すること
『走れメロス』も『山月記』も虚栄・倨傲の自滅を見事に描いているのだから。


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