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牧水を再発見する(2)

2022-01-25
牧水祭などで献詠される朗詠
牧水の母校・坪谷小学校の児童の朗詠
顕彰会の方々のそれぞれの節回しも

若山牧水の母校・日向市立坪谷小学校、現在は全校生徒20名前後であるが統合されることもなく、むしろ学区域を超えて希望者の入学を受け入れていると聞いた。宮崎では特に山間部の山村の小規模校については、県内の一つの課題であるとして本学でもその教育研究に取り組む教員もいる。宮崎の郷土芸能として神楽も有名だが、山間留学をした児童生徒が成長しその地域の神楽の舞い手になるなどという話もよく聞く。そのような生き方を見るに、この宮崎の特長を存分に活かした選択があるべきと思う。宮崎市・延岡市の次期市長が選出されたところだが、「都会との格差を埋める」という公約の必要性も覚えつつ、その前に「宮崎の利点を活かす」を掲げて欲しいと思うのは僕が宮崎出身ではないからだろうか?宮崎には都会には決して無いものがある、ゆえに宮崎は素敵なのだ。豊かな自然の中で自由に遊び花や鳥や虫たちと戯れ、塾通いもなく自分の興味あるものに向き合い、人と親密にふれあい己を発見していく。昨年、坪谷小学校を訪問した際に児童たちの純朴さにあらためて心を打たれたことによる主張である。

坪谷小学校の児童たちが牧水の歌を朗詠するのを聞くと、歌人の方をはじめ多くの人が涙が出るほど感激する。僕も最初に聞いた際からくり返しの機会ごとに、いつでも例外なくこみ上げるほど涙ぐんでしまう。俵万智さんは牧水賞授賞式で朗詠を聞いた後、涙に暮れて受賞者挨拶が上手くできなかったほどだと話していた。この涙の感激の理由は何なのだろうか?調査をするべくもないのだが、果たして短歌を知らない人でも感激するのだろうか?もしかすると坪谷小の児童の朗詠で泣けるのは、「心の純度」の測定値が計測できるのかもしれないなどと勝手な仮説を立てたりもする。感激する要素として(1)牧水の短歌であること(2)児童らが詠うということ(3)言葉と節回しの巧妙な響きであること などが考えられよう。この日は、牧水顕彰会関係の方で朗詠の収録CDが出されているものをしばし聞いてみた。坪谷小調とはまた違い、独特の深みがある。果たして周囲の人々が大変に賞讃しているように牧水自身の朗詠は、どんなにか素晴らしいものだったのだろう。牧水が恋にも酒にも旅にも没入したのは、ひとえにその純朴さの為せる技である。純粋に自然のままで何が悪いのか?僕らは、坪谷小学校の児童たちの朗詠に泣ける宮崎県民なのだ。都会で矮小な受験勉強しか知らない児童にない純朴さを、純度の高い全身で受け止めるから涙するのだ。宮崎の素晴らしさを、牧水の再発見という方法でさらにアピールして行きたい。


「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」
「白」という純朴な色
そこに織り成す宮崎の青の下で。


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