「77年」等距離の近現代を生きる
2022-01-22
1968年明治維新〜1945年第二次世界大戦敗戦1945年終戦〜2022年今年(新型コロナ禍)
ともに「77年間」という等距離になった年を
誕生日の朝は親愛なる身近な人から肉声のメッセージを受け取るが、その後に最近はSNSを中心にメッセージが多方面の方々から寄せられる。Facebookでは研究者の方々や短歌関係さらに旧友から呑み仲間まで、自らの生きるつながりを実感できる日でもある。その中にはもちろん僕の誕生日を覚えてくれている方々も多いが、SNS機能がそれを表示してくれることで気づく場合もあるだろう。僕自身も友人・知人であっても、誕生日まで覚えているという人は限られる。もしかすると「誕生日を覚えている人こそが親友」と定義できるのかもしれない。明治時代に戸籍法が確立するまでは、どうやら誕生日というものがたいそう曖昧だったらしい。若山牧水と同年齢とされ東京で親密な交流のあった盛岡出身の石川啄木は、半年かそこら戸籍の届けが為されなかったのか微妙に年齢不詳だと云う。江戸時代以前は没年月は多くが記録されるが、誕生日はあまり記録されなかったらしい。だいたいにして「数え年」を採用していたのであるから新年を迎えれば皆「1歳」を取った訳である。明治生まれの母方の祖母などは、大晦日を「年取り」と言っていたのが思い出される。「誕生日」という記念日を祝うようになったのは、明治以降の「近現代」の成せる技であることを僕たちは知っておくべきかもしれない。
「誕生日」が現在のような形式、つまり「西洋風ケーキ」を買って蝋燭を立てて西洋由来の”Happy Birthday”を唄い蝋燭を吹き消す、というのは明らかに明治以降の慣習であろう。(*この点については詳細に調べているわけではないので、あくまで推測であることをお断りしておく。)こうした形式が年中行事としては個々人において年間2回行われる、「誕生日」と「クリスマスイブ」である。「クリスマス」に関しての明治以降の変遷に関しては新刊著書『日本の恋歌とクリスマスー短歌とJ-pop』(新典社選書108・2021年12月刊)に各時代の短歌とともに追跡したので、お知りになりたい方はそちらをご参照願いたい。考えるに江戸時代幕末以降に鎖国が解け新しい政府ができて西洋列強に肩を並べたいという願望に精力を注ぎ、日露戦争に勝利したことで社会は自信をつけたものの、次第に過信となり大きな誤ちへと突き進む結果となる。敗戦のどん底から再生し高度経済成長を成し遂げ、豊かな社会が構築されたがバブル崩壊以降は「失われた時代」の尾鰭背鰭を引きずりながら、世界的なウイルス流行の惨禍にあってワクチンや社会的対策でも世界で存在感を示せなくなってしまった。11年前の「東日本大震災」において世界から支援をいただきながら、「第二の敗戦」とも言われつつ様々なことをまた曖昧にしてしまった。ある意味でこの「154年間」は「西洋をどう意識するかの歴史」でもあろう。その中間としての「1945年」に由来する従属ともいえる態度が、無意識のうちに僕らの生活にも顔を覗かせるのだ。
あらためて154年間を意識すること
短歌も大きく変革してきた年数を経て
前半の77年間のうち43年間を生きた牧水から多くを学ぶ歳にしたい。
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