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海の聲・産聲・牧水の聲

2022-01-21
いま海の聲が聞こえる
あの日ぼくの産声が聞こえた
牧水が慕う太田水穂の邸宅跡の前で

いまも日向灘から海の聲が聞こえている。起きるとすぐに妻の聲が聞こえ、そして母の聲が聞こえた。人は産聲をあげるが、果たしてその時に何かが聞こえているのだろうか?自分では決して記憶などできない時が誰しも確実にあって、知らないうちにこの世に生命を受ける。だが人は想像力という翼を持っており、その力で「生誕の日」を観に行くことができる。僕は、実家からほど近い街医者の産科で生まれた。通常なら徒歩2分ぐらいだろうか、大寒の凍てつくまだ暗い道を母はどんな思いで産科まで歩いたのだろう?まだエアコンなどもない暖房の時代に、早朝の分娩室は息も白い寒さではなかったか。いまこうして宮崎の書斎で小欄の文章を書いている足元の寒さから想像し、僕は自身がこの世に生を受ける際の空気感を思い描く。母の母胎から離れ独りの人間として歩み出した時、牧水は歌に「われの生まれし朝のさびしさ」と詠む。新刊著書での大きなテーマ「待つこと」、僕は物心つくのを「待った」のである。

『海の聲』は牧水第一歌集の名前、たぶん僕が東京に住み続けていたらこれほど深読みして体験的に意識できなかっただろう。「海鳴り」を『日本大百科全書(ニッポニカ)』で引くと「都市化の進行に伴う雑音のため近年ではこれを聞くのはまれとなった。」とある。だが百科事典ながら「宮崎市内」に言及し「場所により聞こえることがある。」とされているのは興味深い。牧水は12歳までを日向市東郷町坪谷の山間の渓谷で育ち、その後は第二の故郷・延岡にて学校生活を送る。「宮崎市内」に住んだことはなく「海の聲」の生活上の経験は少ないと思われるが、7歳で初めて見た海に大きな感激を覚えたと記す文章が残る。僕自身が宮崎の「海鳴り」を聞ける環境に住んで、牧水『海の聲』を読むのは果たして奇遇なのだろうか?前項で記した僕が生まれた街医者産科のすぐ前に、大正期頃まで「太田水穂」という歌人の邸宅があったと云う。牧水が先輩歌人として慕い、盛んに交流していた中で信州出身の「水穂」の親戚筋に当たる「太田喜志子」と出会い結婚。牧水・喜志子が出会ったのは違った場所に邸宅があった折とされるものの、僕が産聲を上げた場所と牧水は少なからぬ縁を結んでいる。今朝またその産聲を上げた日を迎え、今年はあらためて牧水に正対してみようかと決意を新たにしている。

命とは聲が聞こえること
牧水の聲が聞こえるようにするためには
宮崎で妻と母と幸せに暮らしている今日に感謝。


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