感染のゆくえをどう考えようか?
2022-01-20
かつて「豚インフルエンザ」などもあった「風邪の症状程度」をどう捉えるか?
急速な感染者数の増加はウイルスが身近にいるということ
昨年末にはしばらくの間「感染者0」が続いていた宮崎県だが、ここのところ日々「感染者数最多更新」が続いている。昨日(1/19)は、県内235人うち宮崎市内90人、県内クラスター4件という地元紙の報道である。学内外を問わず感染者・濃厚接触者の数は、必然的に増える状況で、昨年までは身近な人の話はなかなか伝わって来なかったが、今やウイルスはもうすぐそばまで来ている印象である。この急速な感染拡大の勢いは、果たしてどこまで続くのだろう?欧米での状況を昨年末に「対岸の火事」としか見えていなかった甘さ、もうすぐこの感染症に付き合ってほぼ2年になるが、各国の対応はそう大きく変わるものではないという気がしてしまう。マスク着用さえ嫌悪してスポーツイベントなどほぼ通常通りに行っている米国など、感染者数が計り知れないほど増大するのは必然である。それは日本国内で言えば、米軍基地からの感染拡大が顕著であったことで、文化的な対応の違いがあることをあからさまに露呈したことでもわかる。一方で当初から感染対応優秀国であった、ニュージーランド・オーストラリア・台湾などでは特段に焦った様子も見えない。オーストラリアがテニスの著名選手でも公平に対応したことは、感染症対応として優れていることの証明だ。果たして日本であったら、あの訴訟にどう対応するだろう?
10年以上前に突如として流行した「豚インフルエンザ」、当時僕は中高教員であったが夏休み後に体育祭を強行したものの感染者数のあまりの増大に午前中で急遽打ち切ったことを経験した。中高生が競技に興奮して声を発すれば、それ自体で感染は止めどなく拡がる。体育祭にあらずとも、若い人々の行動の活発さはウイルスを運ばないわけはない。豚インフルはその後、ガスの元栓を締めるかのように終息しほとんど感染者は出なくなった。あの一過性のパンデミックは何だったのだろう?たぶんどこかで今回の「新型コロナ」に対しても、「インフルエンザ並」への毒性の後退を多くの人が願っているはずだ。だが果たして「インフル」と同線上のものと考えてよいものかどうか?それもまったくわかっていない。それはただ、「誰もわからないことが唯一わかっている」ということではないか。教員として過去の経験からも「最悪を想定して行動する」ことが基本原則であると痛感する。少なくともマスクを厭わない文化のある日本、その特長を活かした対策を独自に考え明るい明日を待ちたい。
これまでに習得したオンライン講義の技術
通り一辺倒ではない様々に融合した対応を今こそ
「自分」が罹患する可能性があることを考えつつ。
- 関連記事
-
- 何を大切にすればいいのだろう?ー島国らしき鎖国の中に (2022/08/12)
- 清潔一掃を求めすぎた近現代ーカビ取りの理屈 (2022/07/26)
- 何もしないという方法ーどうなるこの感染 (2022/07/22)
- コロナ禍で失っている身体性ー声と表情 (2022/06/14)
- オンライン・ハイブリッド・顔合わせ (2022/04/13)
- ワクチン副反応奮闘記 (2022/03/26)
- 新たな動詞で生きるー福祉国家デンマークから学ぶ (2022/02/02)
- 感染のゆくえをどう考えようか? (2022/01/20)
- やがて夕凪その次の波 (2021/09/08)
- 副反応からあらためて考える (2021/09/04)
- 変異は続くよどこまでも (2021/09/03)
- イベントのオンライン化に思う (2021/08/23)
- 豪雨やら危機の予測をいかに心得る (2021/08/21)
- あくまで思い込まないこと (2021/08/20)
- 急な変化に即応できること (2021/08/19)
スポンサーサイト
tag :