「聞くー話す」が一体であること
2022-01-19
「人の話を聞くときは」相手の言ったことを自己の脳内で意味生成
「確かに!」という時の作用
県内感染者、過去最多の更新。どうやら宮崎県も「まん延防止」を政府に要請し、再び自粛の日々となるようだ。だが1年前と違うのは、「過去最多」に対して慣れてしまったことではないか。もちろん「オミクロン株」の報道される性質に、更新された対応が求められるのも必然であろう。だが既に社会生活に混乱が生じた欧米諸国を見るに、果たして「ただの風邪と同然」といった安易な発想で臨んでよいのだろうか?様々なことで米国に振り回されてきた歴史の呪縛から逃れられないとはいえ、こうした対策においては島国独特の方法を採用してもよいと思う。歴史好きな親友の落語家と話した際に、「江戸時代の鎖国は感染症対策だった」という点が興味深かった。ということで大学講義も「オンラインへ」という「御触れ」も出ないのだが、様々な状況を勘案してゼミはオンラインで実施した。卒論の最終仕上げを進めている4年生に、もしもがないためへの配慮をすべきと思うゆえである。ゼミはzoom上で実施したが、試みに「3年生の卒論構想発表」+「4年生・院生・僕」をブレイクアウトルームで「マンツーマン」に組み合わせ、「15分の対話」を5回くり返す方法を実行してみた。ともかく自分の構想を「話し⇄(相手の意見を)聞く」をくり返すのである。
3年生の発表の中に「日本の言語発達や国語教育では、『聞く』ことを疎かにしている」ということを問題意識とするものがあった。僕との対話の順番になって、相互に気づいたことは「聞く」はあらゆる場面で単独では機能しないということ。例えばzoomで話している際に、そのゼミ生が「確かに!」と言って僕の意見に頷いた。その脳内作用を考えてみよう。(学生)「自分の構想(話す)」→(指導教員「聞く」)=「受け止めた感想・助言(話す)」→(学生「聞く」)=「自分が(話した)構想がどのように意味付けされたか脳内で(話す)」=「確かに!(話す)」といった精密な構造があるのではないかということを、僕は「確かに!」という相槌を「聞い」て「話し」たのである。要するに「聞く」を確実に「理解し受け止める」には、脳内で「意味生成」をするために声にしないにしても自ら(相手の意見を反芻するなど)「話す」作用が必要であるということになる。学習指導要領の言語活動四領域がいつも〈話す 聞く〉と一つにまとめられているのは、このためであると僕は脳内で「聞き」=「話す」のである。同様に「読む」=「書く」の関係にも置き換えることができる。どうも日本の教育は、学習者が「覚えられない」と悩む場面が今でも多いが、「話すー聞く」が一体化だと認識し学習活動を構成すれば、所謂「詰め込み」主義にはならないはずだと思うのであるのだが。
「相手の目を見てしっかり聞きます」
幼稚園の園長が常に語りかけた言葉を僕ら園児はくり返し声にした
たとえあなたがひとりでもあなたの中にもう一人の自分がいて聞いてくれているからね。
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